2.26.2017

この町のこの暮らしは好きかもしれない

(2月28日、一部の文章を追加しました。)
大阪にアパートを借りて早8か月経ちました。
ようやく大阪にも慣れてきました。
自分からこの町に住むぞーと、決めたものの、最初はなかなか馴染めませんでした。
というか、住み始めて最初はちょっと苦手でした。(大阪の方が読んでいたらごめんなさい。)私が住んでいる場所が特にそうなのかもしれませんが、道路に煙草の吸殻が結構落ちている事や、街が汚い、緑が少ない、赤信号でも堂々とわたっている歩行者、自転車のほうが歩行者よりも優先のように後ろから、「どきなさい」みたいに高速で抜き去っていき、歩いている人のほうが自転車を避けながら歩かなくてはならない事・・・。
普通ごみの日(生ごみの日)には、ごみ収集所までの道路を毎回煙草の吸殻をひろいながら歩かなくてはならないほど。。。
昨年、長男の結婚式の為金沢まで行ったのですが、金沢の街の美しかったこと、というか、サンダーバードから見える北陸の景色の美しさに、あぁ、北陸ってこんなに美しかったんだ。。。としみじみ思ったほどでした。
「故郷は遠きにありて思ふもの」とはよく云ったもので、離れてみてその良さがわかるものなのですね。。。

と、最初は思っていたんです。

ところが、別のことわざに「住めば都」ともあるように、数か月も住んでみると、あぁ、この町は「おもろいな」と徐々に思うようになってきました。
まず人が面白いんです。うまくは説明できませんが、大阪人って悪く言うと「わがまま、自分勝手」っぽく感じるんですが、良く言えば「個人を尊重している」というか「他人に構い過ぎない」というか、今の私にとってはそれがとても有難いというか、程よく心地よく自然と溶け込めるというか、人の目を気にしなくて良いというか、でも、他人を無視。。というのとも違うんです。話すと温かいというか。。。。この絶妙な距離感覚、なんか好きです。そういうの。緑に関しても公園は確かに少ないです。東京は都会なのに多く感じます。でも、よくよく見ると個々の家の前に小さな鉢植えをいっぱい置いていたり、土地が狭くても皆さんそれぞれに工夫しているんです。
最初は悪いところばかりに目が行き、この町の良いところに気づけなかったようです。

長男の結婚式場までのタクシーの中、運転手の方に「金沢ってゴミも落ちてないし、街が本当に綺麗ですね。」と言ったところ、「新幹線が通るようになって、人々の意識も少しずつ変わってきたような気がしますね。注目されてましたからね。確かに駅前はすごく綺麗になりました、けど、汚いところは今でも未だ結構有るんですよ。」と、話されました。
ふーん、と、その時は聞きながら、人が皆、この町を綺麗にしたいと意識すれば、私の住む町ももっと変われるのになぁ。。。と、思ったものです。でも、自分が意識したからには、せめて私が毎日通る道路くらいは、自分で綺麗をキープしたいな。。と、思ったのでした。

東京に住む次男のアパートは、清澄白河に近く、美しい清澄庭園や大きな木場公園が有り、最近ではサードウェーブコーヒーのお店や、ハンドドリップのカフェや可愛い雑貨屋さん(私の好きなヨーガンレールのババグーリ本店まで有る!)や、東京都現代美術館も有ったり、東京スカイツリーも間近に見える等、本当にお洒落なところなのですが、その次男が「俺は東京と大阪だったら、大阪が好き」と言ったのです。
何故かと尋ねると、「街が混沌としていて、そのゴチャゴチャ感が好きなのと、人や街が嘘くさくない。本音で生きている!って、感じがする。」だそうです。へぇ~、そういう見方もあるものなのね、と思ったものでした。

小さな古い賃貸アパートに引っ越してきて、最近ではこの狭い空間が自分自身のありのままでいられる大切なところになってきました。

私が自分自身の身を引き締めるために時々読み返す、ドミニック・ローホーさんの著書の中でも特に好きなものに「屋根ひとつ、お茶一杯」という本があります。
その冒頭で、ドミニックさんがパリのアパルトマンのたった14平米の屋根裏部屋へお引越しした事が書かれているのですが、そこにハッとする言葉がありました。
少しだけ引用しますと、
「自分だけの隠れ家に入り、中から鍵を閉めて外界をシャットアウトするという感覚。そこには自由、安らぎ、平穏がある。誰からも邪魔されず、人生に何が起ころうと、自分はここで守られている。そう、自分を宿す屋根がある、という感覚」
とあります。
私は50を過ぎたこの歳になって初めて自分で契約して、自分でこの場所を選び、小さいながらも、誰の為でも無い、自分の為にこのアパートを借りたのです。
それが今住んでいるこのアパートに入って感じた事でした。
そうまさに、自分の為の小さな「隠れ家」なのです。
今までは、多い時には家族6人がひしめき合って一緒な屋根の下に住み、それはそれで賑やかで、家族が同居する楽しさも味わったのですが、私の家、というこの様ななんとも言えない不思議な感覚を味わったのは初めてでした。
北東の角部屋で朝しか陽の光が差し込まない寝室兼リビングですが、その光を愛おしいと思えることや、薄い壁ゆえ、まるで江戸時代の長屋のように、お隣さんのお子さんの笑い声や泣き声、歌う声、生活音が少し聞こえたりすることが、孤独なようで孤独じゃない、独り独りがそれぞれの独立した空間を保ちながら、このアパートで住んでいる。この面白さは今までにない感覚です。(群ようこさんの小説「れんげ壮」に出てくるアパートにちょっと似ている感覚です。ご存知の方は想像してみてください。)

もう一つ、ドミニック・ローホーさんの別の著書「シンプルに生きるーーストレスからの解放」に、以下のような言葉が綴られています。
「孤独を味わいましょう。孤独を試練と捉えずに特権と思うことです。孤独を味わえる事で、むしろ他人の存在の喜びが二倍にも感じられるようにもなるでしょう」

私が独り暮らしを始めてすぐの頃、メイ・サートンの「独り居の日記」を読んでいました。多分、「これから一人だ、孤独な時にはどうすれば良い?どういう気持ちで対処すればいいのかしら?」と、思っていたのだと思います。きっと楽しさよりも寂しさと不安のほうが多かったのかもしれません。でも、暮らすからにはこのアパートを自分にとって大切な空間にしよう、綺麗に保って、清潔に保って、楽しく暮らそう! 
そう決めたのです。
OCD (Obsessive Compulsive Disorder)とBD2(Bipolar Disorder2)という病気を持ちながらもきっと、これからも迷いながらも、やっぱり生きていかなければ。。。と思うこの頃です。

今住んでいるアパート。
玄関からキッチンの一部とリビングが見えます。
ミニマリストになりたかったわけではないのですが、生活道具はとても少なく更にシンプルになりました。
ただ、その中にも自分なりの楽しみを見出したいと思い、自分で制作した茶道具を棚に飾り、珈琲器具コーナーを作り、お茶や珈琲を淹れて日々の暮らしを楽しんでいます。
日課は読書、散歩、朝の一杯の珈琲か紅茶。お昼の丁寧に入れるお茶。TVは持っていません。ワイドFMになってからラジオを聴くようになりました。時々写真撮影にも出掛けます。

先日羽衣ジャスミンの鉢を買いました。一鉢でも花が咲くととっても良い香りです。
またいつかはゼラニウムとハーブを少しだけ育てたいな。そう思っています。
ゆっくり、ゆっくり、慌てずに、焦らずに。
(追伸:最近IDをブログに合わせてFaunに変えました。日本語だとフォーンと呼ぶのが近いのかな?半人半獣のpan(パンー妖精)と同じ。射手座ですので、ケンタウロスの仲間みたいなものです。私は自分の事を半分人間で半分は別の動物、否、いつまで経っても半人前で一人前になりきれない奴。。。と思っていて名付けたブログURLです。)でもFaunが好きです。ナルニア国物語にもFaunが出てきます。35年前、10代の頃に初めて英語で読んだファンタジーの登場人物でもあります。そういえば映画まだ観てないなぁ。今度観てみようっと。)