11.24.2012

リフォーム後に変わったこと。

1階のLDKのリフォームが完了しました。
リフォームの理由は、義父が部屋からLDKまで歩きやすいように、バリアフリーにすることと、夏涼しく冬暖かい部屋にすること、そして迫り来る自分たちの老後も気持ちやすく暮らせるようにすること・・・。
子育て世代の方と、私のような子育ても終わり老後を考え始める世代とでは、リフォームに対する考え方も違うと思うのです。
リビングからみたダイニング 

キッチン側から観たリビング
掃除がしやすいようにシンプルに。

 キッチン
片付けやすいように
なるべくシンプルに清潔に。

 食器棚
地震があっても食器が飛び出しにくいように。

リフォームをして、雑貨などのモノに対する考えも少しだけ変わりました。
リフォーム前までは、気に入った雑貨などはとりあえず購入して、どこに置くかは後から配置を考えていて、必要以上にモノに溢れていたように思えます。
雑貨などを見るのも飾るのも、実は今でも大好きなのです。
でも今回のリフォームを期に、扱いやすいもので、なるべく自然素材で、年を重ねても付き合えるもので・・・・・そして必要以上にモノを増やさないように・・・飾るのは少しだけにしようと考えるようになりました。
食器棚には必要な食器だけを残し、食器は丁度単身赴任で食器が必要になったご家族の方や友人へ、本類は本好きな友人へ、鞄や雑貨類も必要な分だけ友人が貰い受けて下さいました。

私くらいの年齢になると、近い老後の生活も考えるようになってきます。
20代、30代の頃には考えられなかったのですが、この歳になると食器がたくさんあっても、日々の食事自体がシンプルになってきて、そんなに食器が必要じゃ無くなってきたり、高い場所に脚立に乗ってまでモノを取るのが辛かったり、高い場所の割れ物や重い物を取り損ねて落とすのでは・・と思うと、なるべく手の届くところで、取りやすいように、扱いやすいもの・・・などと考えるようになりました。

日々の掃除やお手入れがしやすくて、整理整頓がしやすくて、清潔感溢れる暮らしをしたいと思うのと、そして自分がいずれこの世を去る時に、自分の所有している「モノ」が、残された家族にとって処分に困ることが無いように・・・・そんな事もふと思うようになったのです。

ところで、現在の私の部屋ですが・・・
相変わらずまだモノに溢れている私の部屋です。大好きで以前揃えた雑貨などが有ります。
友人のところに迎えられて、お嫁に行ったモノもあって、これでも以前よりかなり少なくなりました。
残ったのは、トーベヤンソン・コレクションの本、ミシン、裁縫道具、ムーミンやフクロウのメンちゃん、リカちゃんにリトルプーリップ、次男が作ってくれたマリメッコのファブリックパネル、イッタラのグラス、キャス・キッドソンの小物などなど。
今はまだ手元に置いておきたいものだけど、この部屋も、また考えが変わる時がくるのかもしれないなぁ。。。
大切なモノ、可愛いモノ、好きなモノ。。。お手入れや暮らしやすさを考えながら、無理せず、じっくりとつきあっていきたいなぁと思います。

11.16.2012

寒くなってきたので・・・

昨日北陸はとても寒い一日となり、夕飯はおでんにしました。
LDKのリフォームで、キッチンにIHクッキングヒーターを導入しました。以前はガスだった為、古いおでん鍋は使えないかも。。。と覚悟していたのですが、義母が残してくれたおでん鍋は、ホーローだった為全く問題なく使えました。
とても古い鍋なのですが、このお鍋、本体は分厚い黒いホーローで出来ていて、持ち手はごげ茶色の木製という、なかなか凝った作りのレトロなお鍋です。(でも、何故か蓋が無い!(笑)なんとか他の鍋の蓋で兼用できました。。。)
そういえば、義母から譲り受けた雪平鍋も、やたらと重いなぁ。。。と思っていたら、IHでも使えるように底がステンレスになっていて、これもそのまま使えました。
お鍋をほとんど買い変えないといけないのかなぁ。。。と思っていたので、非常に助かりました。


寒くなってきたので保温ポットを出してきたのですが、色がメタリックな赤で、キッチンに置くとなんだか色が妙に浮いてしまうのです。
そこで、このポットにもジュートで編んだお洋服を着せてみました(笑)
今まで無機質で表情を感じた事が無かったポットだったのですが、ジュートで包んだ途端、不思議な事に生き物のように表情を感じます。まるでペンギンがお洋服を着せられて、ツンとおすまししているように感じるのです。なんだか可愛くて微笑ましい。

今朝は、昨日とはまるで違い、日中は久しぶりの快晴でした。
午前はウクレレ教室でしたが、前回の反省も踏まえ、毎日少しずつでもウクレレに触って練習してきたおかげで、どうにか伴奏に合わせて弾く事が出来ました。
やはりちゃんと弾けると嬉しいものです。
でも明日からはまた寒さが戻ってくるとか。。。

先日からウェイン・W・ダイアー博士の著書"Change Your Thoughts, Change Your Life"の邦訳版「老子が教える 実践道(タオ)の哲学」を読み始めました。ダイアー博士の本を読むのは久しぶりです。大好きな老子の『道徳経』81章をダイアー博士なりの見解と解釈で書かれた著書です。
この本を手にとってみると不思議なことに、表紙に訳者の名前が書かれていません。
今までですと、柳町茂一氏や、渡部昇一氏などの名前が書かれていたのに・・・はて?と思いつつ、本の後ろのほうの出版社情報を読んでみると、「柏倉美穂さん」となっていました。調べてみるといろいろなジャンルの本の翻訳をされていらっしゃる方のようで、ダイアー博士の翻訳者としては始めてのようです。老子の道徳経とダイアー博士の"Change Your Thoughts, Change Your Life"をどのような日本語に置き換えてあるのか・・・も楽しみながら読みたいと思っています。
秋の夜長に、温かい飲み物と読書。。。家に居る時間が長くなりそうです。

11.02.2012

継続の偉大さ、改めて感じる。

今日は、久しぶりのウクレレ教室の日でした。
リフォームなどでバタバタしていて、一ヶ月もウクレレを休んでしまいました。
日々の練習を休めば、その時の状態で停滞するのではなく、後退してしまう。。。分かっていても、それをつくづくと感じました。まるで記憶が無くなってしまったかのように、指も腕も頭も曲についていけないどころか、弾き方自体まで忘れてしまっているのです。

「一日5分でもいいから、ウクレレを触って、弾き続けたほうがいいですよ。」
先生のおっしゃるとおりだと思います。
1時間練習して1週間休むよりは、一日5分でもいいから練習を続けていくほうが、記憶されていく。。。。ウクレレだけじゃなく、語学学習やその他いろいろな事にも言えることだと思います。

例えば、日々の掃除。
3年前から、「トイレ掃除は朝一番に必ず毎日やる」と決めて続けてきました。
旅行とかで家を空けた日以外、ずっと続けてきたのですが、毎日毎朝、汚れていれば勿論、汚れていなくても毎朝起きて一番最初に掃除をしていたら。。。。。綺麗な状態を維持出来るので、毎日の掃除時間が短くて済むということに気づきました。毎日掃除をしていると、サッと拭くだけで擦らなくても蛇口はピカピカに綺麗だし、ホコリもたまる前に拭くのでたまらないし、綺麗な状態をキープ出来て、日々の掃除が楽なのです。
これを昨年は毎朝15分の語学学習や、100円ノートのスクラップブックで実践してみて、「私はためずに短い時間でやったほうが、効率よく続けられる」と気づいたのです。

そう気づいていたにも関わらず、それをウクレレに活かせていなかった。。。
というか、ウクレレの事を一ヶ月思い出しもしなかった。。。

今日帰宅後、習ったウクレレのソロパートを練習しました。
まだ上手く弾けないけれど、毎日続けてみよう、継続していこうと、心に誓ったのでした。

習い事といえばもう一つ。「茶道」があります。
ただ何となく、いつかお茶を習ってみたいと密かに思っていたのです。
年々、日本文化の良さやに触れたいという思いも強くなってきていましたし、所作の美しさ、立ち居振る舞いなど、若い時は思いもしなかった仕草なども、美しくありたいと思うようになってきていたのです、
ただ、最初の頃「茶道」と聞くと、敷居が高く感じれて一歩が踏み出せなかったのですが、いろいろな「茶の湯」関連の本を読んでいたところ、ある本(森下典子さんの著書『日日是好日』)も読んだのをキッカケに、やっぱり思い切ってお茶をやってみたいと思ったのです。
どこの教室に通うかと探していたら、お友達の紹介である先生とのご縁を結んでいただき、まるで用意されていたようにトントン拍子に話が進み、不思議なくらいスムーズに「茶の道」に入っていました。

「茶道」。
通ってみると、何故こんなに出来ないのか。。。と我ながら唖然としました。
歩き方、挨拶の仕方、お茶のいただき方、お点前に至っては、何度やっても覚えられない。。。。
盆略、千歳盆略、薄茶、濃茶。。。
それぞれに、方法が違い、更に季節ごとにお道具が変わる。
柄杓(ひしゃく)でお湯を汲む時戻すとき、水を汲むとき、持ち方も変わるし汲み方も変わる。

先生は
「頭で覚えようとしなくていいです。ココに来て唯お茶を点て、お茶をいただく。頭で覚えるのじゃなく、何度も繰り返せばいいのですから。そのうちスーっと身体が動くようになります。」
「行儀作法を身につけるのもいい事ですが、それ以上にお茶は『おもいやりのこころ』『おもてなしのこころ』を育むのです。」
とおっしゃっています。

頭で覚えたものって、やらなければすぐ忘れてしまいます。
お茶もウクレレもそうですが、覚えようとしている時は身につかない。唯唯身につくまで練習を重ねる。継続をする。そうやっているといつか突然、氷が溶けて中に入っていたモノに手が届くように掴むことが出来るようになる。それまでは唯唯氷を溶かす作業のように、温めていればよい(継続していればよい)。試験の前の一夜漬けじゃなく、ずっと続けていくこと自体に価値があるのだと思えるようになりました。

更にお茶は、こんな事にもルールがあるのか。。。と思うほど、細かい作法があるのですが、それがとても気持ちいいと思えるほど、「お茶」の時間は神聖で優美で、静寂て、空気が澄んでいて、季節感を目や味で感じれるのです。
お点前をする人、客人、双方が思いやりの心で、同じ空間に居る。
細かい作法があっても堅苦しいどころか、その逆で「お茶」の時間は日々のストレスが軽減される時間なのです。出来るようになる喜びもですけれど、ただその場所に居るということ。
武士が戦いの合間にお茶を嗜んでいたというのも、ほんの少しですけれど分かった様な気がします。

ずっと続けていきたいと思います。