今日は、久しぶりのウクレレ教室の日でした。
リフォームなどでバタバタしていて、一ヶ月もウクレレを休んでしまいました。
日々の練習を休めば、その時の状態で停滞するのではなく、後退してしまう。。。分かっていても、それをつくづくと感じました。まるで記憶が無くなってしまったかのように、指も腕も頭も曲についていけないどころか、弾き方自体まで忘れてしまっているのです。
「一日5分でもいいから、ウクレレを触って、弾き続けたほうがいいですよ。」
先生のおっしゃるとおりだと思います。
1時間練習して1週間休むよりは、一日5分でもいいから練習を続けていくほうが、記憶されていく。。。。ウクレレだけじゃなく、語学学習やその他いろいろな事にも言えることだと思います。
例えば、日々の掃除。
3年前から、「トイレ掃除は朝一番に必ず毎日やる」と決めて続けてきました。
旅行とかで家を空けた日以外、ずっと続けてきたのですが、毎日毎朝、汚れていれば勿論、汚れていなくても毎朝起きて一番最初に掃除をしていたら。。。。。綺麗な状態を維持出来るので、毎日の掃除時間が短くて済むということに気づきました。毎日掃除をしていると、サッと拭くだけで擦らなくても蛇口はピカピカに綺麗だし、ホコリもたまる前に拭くのでたまらないし、綺麗な状態をキープ出来て、日々の掃除が楽なのです。
これを昨年は毎朝15分の語学学習や、100円ノートのスクラップブックで実践してみて、「私はためずに短い時間でやったほうが、効率よく続けられる」と気づいたのです。
そう気づいていたにも関わらず、それをウクレレに活かせていなかった。。。
というか、ウクレレの事を一ヶ月思い出しもしなかった。。。
今日帰宅後、習ったウクレレのソロパートを練習しました。
まだ上手く弾けないけれど、毎日続けてみよう、継続していこうと、心に誓ったのでした。
習い事といえばもう一つ。「茶道」があります。
ただ何となく、いつかお茶を習ってみたいと密かに思っていたのです。
年々、日本文化の良さやに触れたいという思いも強くなってきていましたし、所作の美しさ、立ち居振る舞いなど、若い時は思いもしなかった仕草なども、美しくありたいと思うようになってきていたのです、
ただ、最初の頃「茶道」と聞くと、敷居が高く感じれて一歩が踏み出せなかったのですが、いろいろな「茶の湯」関連の本を読んでいたところ、ある本(森下典子さんの著書『日日是好日』)も読んだのをキッカケに、やっぱり思い切ってお茶をやってみたいと思ったのです。
どこの教室に通うかと探していたら、お友達の紹介である先生とのご縁を結んでいただき、まるで用意されていたようにトントン拍子に話が進み、不思議なくらいスムーズに「茶の道」に入っていました。
「茶道」。
通ってみると、何故こんなに出来ないのか。。。と我ながら唖然としました。
歩き方、挨拶の仕方、お茶のいただき方、お点前に至っては、何度やっても覚えられない。。。。
盆略、千歳盆略、薄茶、濃茶。。。
それぞれに、方法が違い、更に季節ごとにお道具が変わる。
柄杓(ひしゃく)でお湯を汲む時戻すとき、水を汲むとき、持ち方も変わるし汲み方も変わる。
先生は
「頭で覚えようとしなくていいです。ココに来て唯お茶を点て、お茶をいただく。頭で覚えるのじゃなく、何度も繰り返せばいいのですから。そのうちスーっと身体が動くようになります。」
「行儀作法を身につけるのもいい事ですが、それ以上にお茶は『おもいやりのこころ』『おもてなしのこころ』を育むのです。」
とおっしゃっています。
頭で覚えたものって、やらなければすぐ忘れてしまいます。
お茶もウクレレもそうですが、覚えようとしている時は身につかない。唯唯身につくまで練習を重ねる。継続をする。そうやっているといつか突然、氷が溶けて中に入っていたモノに手が届くように掴むことが出来るようになる。それまでは唯唯氷を溶かす作業のように、温めていればよい(継続していればよい)。試験の前の一夜漬けじゃなく、ずっと続けていくこと自体に価値があるのだと思えるようになりました。
更にお茶は、こんな事にもルールがあるのか。。。と思うほど、細かい作法があるのですが、それがとても気持ちいいと思えるほど、「お茶」の時間は神聖で優美で、静寂て、空気が澄んでいて、季節感を目や味で感じれるのです。
お点前をする人、客人、双方が思いやりの心で、同じ空間に居る。
細かい作法があっても堅苦しいどころか、その逆で「お茶」の時間は日々のストレスが軽減される時間なのです。出来るようになる喜びもですけれど、ただその場所に居るということ。
武士が戦いの合間にお茶を嗜んでいたというのも、ほんの少しですけれど分かった様な気がします。
ずっと続けていきたいと思います。
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