10.09.2013

茶道で学んでいるもの

お茶を習いだしてから、私の生活は少しずつ変化しています。

一つ目は、物を大事に扱うようになったり、言葉掛けに注意するようになった事。

茶道具は練習用の安いものから、本などで存在は知っていても実物を手に取ることさえ一生不可能は国宝級の物まで、色々あるのですが、値段の高い低いに関係なく、どれも「大切に」扱う物だと教えられました。
大切な物だから、大事に扱う。。。 
なので、例えば水差しを持って運ぶ時も、しっかりと両手で挟み、降ろす時もしっかり置いた事を確認してから手を放す・・・・・そんな事、物を持った時には当たり前の事なのに、実際の生活では、出来ていないことに気づきました。
茶碗を食卓の上に置く時、コップに水を注ぐ時、ちゃんとしっかり見ずに、考え事をしながらとかテレビを見ながらとか、「ながら」で行ってしまい、こぼしたり落としたり。。。。
ちゃんと見ているつもりで、実は注意散漫だということに気づいたのです。
お茶のお稽古の時は途中で落としたりしないように、持つ位置、降ろす場所まで決まっていて、それを確認しながら、最後までしっかりと見て、しっかりと降ろす---だから家の茶碗やコップのような上の空で扱わないから、粗相が無い---。
家で小皿を割りそうになった時、その注意力の違いに「ハッ」と気づかされたのです。

今巷では、『日本人のおもてなしのこころ』と、よく言われますが、茶道の世界にはその『おもてなしの精神』がとてもよく表れていて、学べば学ぶほど、なるほどなぁ。。。と思えてきます。
お茶を淹れるタイミングや、お茶の濃さ、熱さ、言葉掛け。
学べば学ぶほどほんと、奥が深くて。

お辞儀の仕方、お茶碗の持ち方、お道具の運び方、歩き方、お点前の作法以外にも、沢山と「決まり事」があるのですが、その「決まり事」を覚えていくのもとても楽しいのです。
他の生徒さんの美しい所作は見ていても優雅だし、その場の空気感の心地よいこと!
「たった一服のお茶」を飲むためにそこに集い、「一服のお茶」を丁寧に思いを込めてたてる。。。
こんなにも癒されるとは思ってもいませんでした。

小さい頃は、茶道って聞いても、なんだか形式ばっていて、堅苦しくって、好きじゃなかったのです。
私には一生無縁の世界だと思っていたし、その世界の扉を自分から開ける事なんて想像もしなかったのですけれど、歳を重ねるうちに、そういう形式ばって見える事よりも、興味のほうが断然増してきたのです。
しばらくは、その扉を開く時期を躊躇していたのですが、覚悟を決めて「お茶を習ってみたい」と、一言知人に伝えたところ、不思議な事に、まるで「お膳立て」されたように、話がトントン拍子に進んでいって、気が付いたら、良い先生と良い生徒のお仲間と共にお茶を学べている・・・「えいっ」って飛び込んでみて本当に良かったです。

茶道を学びだして変化したこと。
二つめは、自分の茶道具を自分で造るようになった事。
まさかまさか、自分のお道具を自分で造るようになるとは、始めた頃は思いもしなかったのですが、毎年ひとつ、またひとつと自分で造ったお道具を揃えていると、世界に一つだけの「自分だけの道具」を、値段など関係ない大切な物として眺めている自分がいます。

今年造った建水と蓋置。
昨年は、平抹茶茶碗を造り、今年はお揃いの建水と蓋置を造りました。
茶杓も制作しようと考えているところです。
来年は水差しも造れたらいいなぁ・・・。

あと、もうひとつの変化は、「着物」。
今「着付け」も習っています。
「着物」に関してはとっても無知だったのですが、というよりも「着物」を敬遠していたのですが、素晴らしい着付けの先生にも巡り合えて(というか、灯台下暗しで、とっても身近に、素敵な着付けの先生がいらした事は後日機会があれば書きたいなと思っています)今「着物ライフ」もエンジョイしつつあります。

実生活には関係ないと思っていた「茶道」から、実際には色々な事が学べて、さらに拡がっていって、陶芸やら着物などを通して、「日本」を学んでいるところです。
まだまだ色々と発見とか気づきがあるんだろうなぁ。。。。と楽しみです。

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