2.26.2017

この町のこの暮らしは好きかもしれない

(2月28日、一部の文章を追加しました。)
大阪にアパートを借りて早8か月経ちました。
ようやく大阪にも慣れてきました。
自分からこの町に住むぞーと、決めたものの、最初はなかなか馴染めませんでした。
というか、住み始めて最初はちょっと苦手でした。(大阪の方が読んでいたらごめんなさい。)私が住んでいる場所が特にそうなのかもしれませんが、道路に煙草の吸殻が結構落ちている事や、街が汚い、緑が少ない、赤信号でも堂々とわたっている歩行者、自転車のほうが歩行者よりも優先のように後ろから、「どきなさい」みたいに高速で抜き去っていき、歩いている人のほうが自転車を避けながら歩かなくてはならない事・・・。
普通ごみの日(生ごみの日)には、ごみ収集所までの道路を毎回煙草の吸殻をひろいながら歩かなくてはならないほど。。。
昨年、長男の結婚式の為金沢まで行ったのですが、金沢の街の美しかったこと、というか、サンダーバードから見える北陸の景色の美しさに、あぁ、北陸ってこんなに美しかったんだ。。。としみじみ思ったほどでした。
「故郷は遠きにありて思ふもの」とはよく云ったもので、離れてみてその良さがわかるものなのですね。。。

と、最初は思っていたんです。

ところが、別のことわざに「住めば都」ともあるように、数か月も住んでみると、あぁ、この町は「おもろいな」と徐々に思うようになってきました。
まず人が面白いんです。うまくは説明できませんが、大阪人って悪く言うと「わがまま、自分勝手」っぽく感じるんですが、良く言えば「個人を尊重している」というか「他人に構い過ぎない」というか、今の私にとってはそれがとても有難いというか、程よく心地よく自然と溶け込めるというか、人の目を気にしなくて良いというか、でも、他人を無視。。というのとも違うんです。話すと温かいというか。。。。この絶妙な距離感覚、なんか好きです。そういうの。緑に関しても公園は確かに少ないです。東京は都会なのに多く感じます。でも、よくよく見ると個々の家の前に小さな鉢植えをいっぱい置いていたり、土地が狭くても皆さんそれぞれに工夫しているんです。
最初は悪いところばかりに目が行き、この町の良いところに気づけなかったようです。

長男の結婚式場までのタクシーの中、運転手の方に「金沢ってゴミも落ちてないし、街が本当に綺麗ですね。」と言ったところ、「新幹線が通るようになって、人々の意識も少しずつ変わってきたような気がしますね。注目されてましたからね。確かに駅前はすごく綺麗になりました、けど、汚いところは今でも未だ結構有るんですよ。」と、話されました。
ふーん、と、その時は聞きながら、人が皆、この町を綺麗にしたいと意識すれば、私の住む町ももっと変われるのになぁ。。。と、思ったものです。でも、自分が意識したからには、せめて私が毎日通る道路くらいは、自分で綺麗をキープしたいな。。と、思ったのでした。

東京に住む次男のアパートは、清澄白河に近く、美しい清澄庭園や大きな木場公園が有り、最近ではサードウェーブコーヒーのお店や、ハンドドリップのカフェや可愛い雑貨屋さん(私の好きなヨーガンレールのババグーリ本店まで有る!)や、東京都現代美術館も有ったり、東京スカイツリーも間近に見える等、本当にお洒落なところなのですが、その次男が「俺は東京と大阪だったら、大阪が好き」と言ったのです。
何故かと尋ねると、「街が混沌としていて、そのゴチャゴチャ感が好きなのと、人や街が嘘くさくない。本音で生きている!って、感じがする。」だそうです。へぇ~、そういう見方もあるものなのね、と思ったものでした。

小さな古い賃貸アパートに引っ越してきて、最近ではこの狭い空間が自分自身のありのままでいられる大切なところになってきました。

私が自分自身の身を引き締めるために時々読み返す、ドミニック・ローホーさんの著書の中でも特に好きなものに「屋根ひとつ、お茶一杯」という本があります。
その冒頭で、ドミニックさんがパリのアパルトマンのたった14平米の屋根裏部屋へお引越しした事が書かれているのですが、そこにハッとする言葉がありました。
少しだけ引用しますと、
「自分だけの隠れ家に入り、中から鍵を閉めて外界をシャットアウトするという感覚。そこには自由、安らぎ、平穏がある。誰からも邪魔されず、人生に何が起ころうと、自分はここで守られている。そう、自分を宿す屋根がある、という感覚」
とあります。
私は50を過ぎたこの歳になって初めて自分で契約して、自分でこの場所を選び、小さいながらも、誰の為でも無い、自分の為にこのアパートを借りたのです。
それが今住んでいるこのアパートに入って感じた事でした。
そうまさに、自分の為の小さな「隠れ家」なのです。
今までは、多い時には家族6人がひしめき合って一緒な屋根の下に住み、それはそれで賑やかで、家族が同居する楽しさも味わったのですが、私の家、というこの様ななんとも言えない不思議な感覚を味わったのは初めてでした。
北東の角部屋で朝しか陽の光が差し込まない寝室兼リビングですが、その光を愛おしいと思えることや、薄い壁ゆえ、まるで江戸時代の長屋のように、お隣さんのお子さんの笑い声や泣き声、歌う声、生活音が少し聞こえたりすることが、孤独なようで孤独じゃない、独り独りがそれぞれの独立した空間を保ちながら、このアパートで住んでいる。この面白さは今までにない感覚です。(群ようこさんの小説「れんげ壮」に出てくるアパートにちょっと似ている感覚です。ご存知の方は想像してみてください。)

もう一つ、ドミニック・ローホーさんの別の著書「シンプルに生きるーーストレスからの解放」に、以下のような言葉が綴られています。
「孤独を味わいましょう。孤独を試練と捉えずに特権と思うことです。孤独を味わえる事で、むしろ他人の存在の喜びが二倍にも感じられるようにもなるでしょう」

私が独り暮らしを始めてすぐの頃、メイ・サートンの「独り居の日記」を読んでいました。多分、「これから一人だ、孤独な時にはどうすれば良い?どういう気持ちで対処すればいいのかしら?」と、思っていたのだと思います。きっと楽しさよりも寂しさと不安のほうが多かったのかもしれません。でも、暮らすからにはこのアパートを自分にとって大切な空間にしよう、綺麗に保って、清潔に保って、楽しく暮らそう! 
そう決めたのです。
OCD (Obsessive Compulsive Disorder)とBD2(Bipolar Disorder2)という病気を持ちながらもきっと、これからも迷いながらも、やっぱり生きていかなければ。。。と思うこの頃です。

今住んでいるアパート。
玄関からキッチンの一部とリビングが見えます。
ミニマリストになりたかったわけではないのですが、生活道具はとても少なく更にシンプルになりました。
ただ、その中にも自分なりの楽しみを見出したいと思い、自分で制作した茶道具を棚に飾り、珈琲器具コーナーを作り、お茶や珈琲を淹れて日々の暮らしを楽しんでいます。
日課は読書、散歩、朝の一杯の珈琲か紅茶。お昼の丁寧に入れるお茶。TVは持っていません。ワイドFMになってからラジオを聴くようになりました。時々写真撮影にも出掛けます。

先日羽衣ジャスミンの鉢を買いました。一鉢でも花が咲くととっても良い香りです。
またいつかはゼラニウムとハーブを少しだけ育てたいな。そう思っています。
ゆっくり、ゆっくり、慌てずに、焦らずに。
(追伸:最近IDをブログに合わせてFaunに変えました。日本語だとフォーンと呼ぶのが近いのかな?半人半獣のpan(パンー妖精)と同じ。射手座ですので、ケンタウロスの仲間みたいなものです。私は自分の事を半分人間で半分は別の動物、否、いつまで経っても半人前で一人前になりきれない奴。。。と思っていて名付けたブログURLです。)でもFaunが好きです。ナルニア国物語にもFaunが出てきます。35年前、10代の頃に初めて英語で読んだファンタジーの登場人物でもあります。そういえば映画まだ観てないなぁ。今度観てみようっと。)

11.29.2016

現状報告、体調のこと、お引っ越しのこと

ブログの更新をずっと行っていませんでした。
一年以上書きたいと思いつつ、書けませんでした。
そして、最近やっと徐々に気持ちの整理がついてきて、今までの事を書こうかなと思える気持ちになったので、ここに記しておこうと思います。

昨年8月、福井を出ました。
そして当時次男が住んでいた静岡のアパートに、次男と同居していました。
そこは新居町というところで、太平洋と浜名湖に挟まれたところでした。「今切口」という地図でみると丁度浜名湖と太平洋が繋がる、そんな先端の場所まで歩いて15分くらいの所に住んでいました。
のどかなところで、毎日「弁天島海浜公園」まで散歩して、その公園内に祭られている小さな弁財天にお参りしたり、湖を眺めたり、海岸を散歩したりするのを日課にしていました。
新居町は冬でもからりと乾燥していて、心が穏やかになる。。そんな風に感じられて大好きな街でした。
弁天島海浜公園の中の弁財天



実は当時、去年静岡に引っ越す前、私には気がかりなことが二つありました。一つは、食後30分くらいでHbA1cが7.5%になり、立派な糖尿病になっていたこと。
もう一つは、6年から7年前に寛解して収まっていた「うつ病」がまたぶり返してきたことでした。
なぜ福井を出たかの理由ですが、私は6~7年まえに鬱病になり、一年くらい心療内科に通い薬も飲んで、一旦寛解したと思ったのですが、昨年あたりからまた似たような症状が出始め、なにか苦しい、どうにも朝起きるとつらい。。。しんどくてしんどくて、次男がみかねて静岡で海でも眺めてくらしてみたらと言ってくれたのです。それがキッカケとなり、新居町に移り住んでからは、糖尿病のほうは自分でコントロールできるくらい良くなったのですが、うつ病のほうはあまりよくなってはいきませんでした。

なぜなら新居町では、まずとにかく糖尿病をなんとかしたいと思ったのです。
食事療法(糖質をかなり控えながら、その分タンパク質を多めに摂取)と、食後の散歩を続けたところ、3か月で体重が約10kgくらい減り、HbA1cも6.2%、その半年後5.9%、そして今年の4月には5.7%と下がってきました。
私の場合糖質を少し多くとるだけで、すぐに体重に反映されます。最近では少し糖質を多く摂取したなと思った日には、出来るだけ体を動かすようにして、体調をコントロールして今も維持しています。うつ病でつらい時にはあまり外にも出たくない日々もありましたが、新居町は本当にのどかで静かな町でしたので、湖と海を見ながら暮らす生活は、当時の私には合っていたようです。

そのような暮らしをしていたのですが、今年に入り、次男が会社を辞めて、東京で本当に自分がやりたかった新しい仕事を見つけました。
東京での新しい仕事を開始するまで、数か月ほど自由な時間があるからということで、次男は南米へと旅行へ行くことになりました。
静岡のアパートを解約して。
メキシコ、キューバ、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、そしてブラジル。。。。
その期間、彼の家財道具を預かり、私は友人が居る大阪にアパートを借りて、引っ越してきました。
6畳一間の和室に小さなキッチン兼ダイニングルームが付いた、小さなアパートを借りたのです。こんな人生折り返したおばあさんになってから、生まれて初めての独り暮らしをするなんて!
でもとにかくそうしたかったのです。そしてその暮らしをとりあえず大阪でスタートさせたのです。

大阪では今度はちゃんと病院にも通って、きちんと私のこころと向き合おうと思ったのでした。
新居町に住んでいたころは、心療内科に通うことすら、しんどくて病院を探しても行くのをためらっていました。
心の中で「どうせ薬に頼るだけで、また前回と同様に先生には心の中のつらさをわかってもらえないだろう」と、自分で自分を判断して、先生を信じようと思う気持ちがわかなかったのです。

今回は病院を選び(前回は心療内科でしたが、今回は精神科です)、話しやすい先生にも出会えて、これまでのいきさつもお話して、お話している間中、涙が止まりませんでした。他人の前であんなに泣いたのは、久しぶりだったかもしれません。先生は、やっぱりしばらくお薬を飲んだほうがよいと判断され、薬を飲みながら様子をみていくことになりました。

数か月薬を飲んでいたところ、朝起きたら急に、世界が変わったように感じました。
それまでの重く暗い鉛がお腹に入っているような気分が突然軽くなって、何かしら爽やかな気分に変わっていたのです。外の天気も良いので、写真も撮りたい、とか、どこか遠くまで出かけてみようかとか、すごく外交的になっていたのです。

うつが治ってきたのかも(治るというより寛解というのですが)と思っていたのですが、なんかテンションが少しだけハイになっているような気がして、それを先生にお伝えして、しばらく様子をみていただいたところ、お薬が変わりました。

それまでは、レクサプロ、ロラゼパム、レパミピドだったのですが、レクサプロが半分の量になり、代わりにバレリン錠という錠剤が追加されました。

今まで私は自分はずっとうつ病だと思っていたのですが、でも少し軽躁状態の時があるみたいです。
自分では気づかなかったのですが、過去ブログを読んでいると、調子のよい時にブログを書いていたように思います。それとテンションが少しハイな時はいろんな事に挑戦しているみたいですが、本当につらい時は数か月もブログを書けなかったり、自分をずっと責めていたりしていたみたいです。
私の本当の病名は何なのか。。。。
先生にはまだ正式な判断はいただいていません。調子が良い時が時々あってそれは普通に穏やかなに過ごせるのですが、基本はやはり気持ちがなんとなく重い状態が続く時があって、それらが混ざっているような感じさえします。今は穏やかな気持ちがこれから増えていくことを願っています。

今後も大阪の暮らしの事、体調の事など、忘備録を兼ねて、気分の良い日には綴っていきたいと思います。

7.27.2015

Huawei Honor 6 Plus + Bluetooth keyborad REUDO RBK-2000BT3

I paired my cell phone, - Honor 6 Plus to my Bluetooth keyboard, the REUDO RBK-2000BT3, today!
The pairing went very easy. After my Honor 6 Plus connected to the RBK-2000BT3, then I just typed in the default passcode (pincode) [0][0][0][0], and pushed the [enter] key. Just that! Just that! But at first I wasn't able to find the passcode.
I originally bought the RBK-2000BT3 Bluetooth keyboard for my iPod touch(4th generation). It is a really good Bluetooth keyboard. It's easy to take with you, small, light and can be folded to save space during storage. So I wondered if I would be able to use this RBK-2000BT3 as a Bluetooth keyboard for my new Android cell phone, - Honor 6 Plus.
When I paired it to my iPod touch, it showed me a specific pincode, so I didn't need to think about a passcode or a pincode. I just typed in the code that my iPod touch showed me. But this time it didn't work that way. It was unresponsive! Nothing happened! Wow! Where is my passkey? The manual that I have was old, though, so I didn't know if this RBK-2000BT3 was compatible with Android 4.4 or newer. Anyway I had to get a new manual for this Bluetooth keyboard. I looked for a new manual on the Internet, then I found out some different ways to Bluetooth devices to cell phones or other things by typing in the default passcode... And these passcodes were either 0000 or 1234. So, I typed in the numbers and hit enter key. Oh! I got them paired! After I succeeded, I found a new manual that could be downloaded from the Internet (→pdf file from REUDO company). Oh well... Anyway I've got it! I am still able to continue using this Bluetooth keyboard - RBK-2000BT3.

I would also like to write about my Honor 6 Plus someday. It is a good cell phone with the dual rear-facing camera.
There are so many interesting functions and fun to take photos.
You can see some of pictures here, →Arcadian Fantasy.

5.20.2015

May 20

Ask and It Is Given Perpetual Flip Calendar


May 20
When you know that you want something and you notice that you do not have it, you assume that there is something outside of yourself that is keeping it from you, but that is never true. The only thing that ever prevents your receiving something that you desire is that your habit of thought is different from your desire.
<和訳>:あなたが何かを欲しがり、そしてそれをまだ手に入れていないことに気づいた時、その原因はあなた自身の外にあるとあなたは思っているでしょう。でも本当はそうではありません。
あなたが欲しいものを手に入れられないのは、あなたの思考の習慣があなたの願望と異なっているからなのです。

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久しぶりに'Ask and It Is Given Perpetual Flip Calendar'を読みました。
時々耳にする言葉に、「今無い物に焦点を合わせると、欠乏を感じるけれど、今有るつもりで想像していると、やがて本当に同じものか、或はそれに近いものが創造される」という内容のものが有ります。
Visualizeすると良い」と云われますが、既に有ると想像していると、ワクワクしている自分に気づきます。それだけでも既に自分の心が良い状態になっているので、良い事をいっぱい思い描ける癖をつけたいなと思います。

P.S. エイブラハムの英文を読んでいて、ふと気づいた事があります。それは、私の「書く英語の文」と、このエイブラハムの英語の文章に非常によく似た「癖」が有る事にです。勿論文章の中身の「質」については、選ぶ語彙も文章力も雲泥の差がありますが、「文の書き方」が似ているなぁ。。。と感じました。数年前に一年間この'Ask and It Is Given Perpetual Flip Calendar'で語学学習をしてきたからでしょうか?やたらにthatを多用するところや、硬い印象を持つところなど特に、あれっ?って思うんですよね。。。気のせいかなぁ?

5.08.2015

楽器づくり

この記事は、以前ホームページに書いたものを
再度リライトしたものです。

以前少しだけ、「 ウクレレ作り 」に嵌っていました。
若い頃はギターを弾いていたのですけれども、
今のところに引っ越す前に、フォークギターも
エレキギターも手放してしまいました。(ちょっと後悔)

でも、何か楽器に常に触れていたいなと思うのです。
これは、一種の本能のようなものです。
楽器が無くても生きていけるかもしれないけれど、
楽器が無い暮らしは、自分らしくないような気がする。

小さなギターが欲しいなぁ。。と思っていたところ
ウクレレ作りキットの文字が目に飛び込んできて
元々、手作り工作大好き人間なもので、
自分の楽器も手作りできたら面白いなと思ったのです。

作り始めてみると
思ったよりも側板張りがむずかしい~。
滑らかな曲線に仕上げるのに四苦八苦。
それでも、どうにか後は塗装を残すのみ。。

(滑らかな肌になるようにウクレレボディを)
セッセと磨きました。

試しに弦を張ってみました
なかなか柔かな良い音!(自惚れ・笑)
完成したら、またいつかお披露目します。。。
私のオリジナル。。。My Ukulele

<楽器作りうんちく>
実は、ギターも最初の頃は手作りからスタートしたのです。
(あまり大きな声じゃ言えませんが・・・・)
中学生の頃、我が家は貧乏でギターが欲しいなどとは
言えませんでした。

でもギター欲しいな。。。
雑誌の付録のギターコード表を見ながら、指の練習。。。
でも、肝心のギターが無く。。。コードの練習をするのに
考えた苦肉の策は
蒲鉾板をネック替わりにして、フレット線をボールペンで描き
それに、タコ糸を6本張って弦替わり・・・(涙ぐましいでしょ!)
それで、2曲をなんとか弾けるようにまでなりました。
それから、半年くらい後にお小遣いを貯めて、とっても安~い
ギターを購入したのです。
蒲鉾板からは音が出ませんが、初めてチューニングして弾いた
ギターからは、練習した曲のコードでちゃんと曲になっている!!
あれから、何度かギターは買い換えましたが、
あの感動は今でも忘れられません。

蒲鉾板ギター
私にとっては、楽器作りの原点?かもしれません。

手根管症候群になってから、
きちんとウクレレを弾くことも諦めかけたのですけれど、
やっぱり何か楽器に触れていたいと思うのです。

今は、土着な民族楽器に何故か凄く惹かれます。
チャフチャスのようなものが理想です。
或は、全く新しいスタイルの楽器を考えるのも楽しいかも。
手が動かなくても、声が掠れても、
音楽は私に喜びを与えてくれます。

雰囲気を感じ取って頂けたら・・・。
! Hola ! Bien venidos a mi blog diviertete un rato.

感想など、頂ければ幸いです。
fuji

4.13.2015

Snack Pineapple

How to prepare to eat a snack pineapple.
「手でちぎって食べられる スナックパイン」というパイナップルを食べてみました。手でちぎって食べられるパイナップルが有ったとは、初めて知りました。パックにも確かに「手でちぎって食べれます。」と、表示されていますね。
小ぶりでとても可愛いパイナップルです。綺麗なオレンジ色で完熟している様子ですね。
パックから取り出すと、甘いパイナップルの香りがします。
このパイナップル、一体どうやって食べればよいのだろう?と、ネットで調べてみますと、沖縄のパイナップル業者さんの説明のページがヒットしました。それに寄りますと、お尻の部分をカットして、その後は、松笠状になっている表皮のイボイボを一つ一つ剥がすようにちぎって食べるようです。あ!PINEAPPLE(パイナップル)って、Pine+Appleですね。確かに形状は松笠に似ていますね。
さて、お尻の部分をカットしたので、ちぎってみようとしたのですが。。。。ちぎれない。。。
いや、実際はちぎれるのですが、綺麗にポロッと取れないのです。力を入れ過ぎると表皮が柔らかいので潰れてしまいそうになるし、潰したくないので、力を入れないように、そぉーっと剥がそうとするとちぎれないのです。
取りあえず、縦四等分に切り分けて、中心の芯の部分を少しだけそぎ落としました。
このまま食べてもいいや!って、思ったのですが、せっかくなら、やっぱりちぎって食べたい!
再度そぉ~っと、ちぎってみると!!!あらっ、簡単にちぎれるではありませんか!
コツが掴めると、力の入れ加減がわかり、簡単にちぎれるようになりました。丁度トウモロコシを一粒一粒剥がしていくような感じです。多分、芯の部分をカットした事により、中心でくっついていないので、力を入れなくても、より楽にちぎれるようになったのかもしれません。食べ方としては、パイナップルの形状からすると、このちぎって食べる食べ方のほうが、表皮をそぎ落として輪切りにしてから食べる従来の食べ方よりも、なんだか自然に思えるのですが。。実際のところ、表皮が硬いとこんな風にはちぎれないのですよね。。。 うーん。なんとなく不思議な感じです。

お味は、本当に甘くてとても美味しかったです。こんな風に食べるパイナップルがあったなんて、まだまだ知らない果物が、世界中にはたくさん有るのでしょうね。

他に「桃の味のパイナップル」も一緒の箱に詰め合わせになっていました。ホントにまだまだ知らない食べ物がいっぱいありそうです。これからはもっと冒険して、いろいろな食べ物を食べてみようと思いました。

3.31.2015

Olympus Camedia 2020z

以前使っていた私の愛機(カメラ)をこちらのページに残しておこうと思っています。
今回は、Olympus Camedia 2020zです。(前回はAgfa Siletteでした。)
このカメラは、発売された1999年に購入したもので、既に16年以上前のコンパクトデジタルスチルカメラです。発売された当初のカメラの説明には、「総画素数211万画素1/2型(インチ)CCD、大口径F2.0の明るい高性能3倍ズームレンズ、デジタルカメラとしては世界初の広視野角TFTカラーモニタ搭載」と謳われていました。他にも絞り優先・シャッター優先・スローシンクロ・ISO感度設定機能等、今ではコンデジにでも普通に搭載されているでしょ・・・と思われる機能でも、当時はコンパクトデジカメでこれは凄い!と思ったものでした。そして何といっても、マニュアル露出モードやマニュアルフォーカス設定、オートブラケット機能など、写真を自分で自由に撮りたい私的には、銀塩カメラを思わせる機能が搭載されていたのも嬉しかったのです。でも高機能だった為、コンデジにしてはかなり高価なカメラで、かなり思い切って購入した記憶が有ります。5~6年ほど使うとバッファの遅さや、記録媒体がスマートメディアのみ・・というハンディが出てきましたが、それでもこのカメラは名機でした。

そして私の好む被写体が「花」や「昆虫」がメインであったことも、このカメラが非常に使いやすいカメラであった理由だと思います。
実際使ってみて、どのような点が好きだったかと言いますと、
・花を撮る時、ワイド端~テレ端へのズームが非常に使いやすいこと。
・AF(オートフォーカス)からMF(マニュアルフォーカス)への切替が瞬時に出来ること。また、逆にMFで合焦してから、そのままAFへの切替もスムーズに移行できることで、マクロでのピント合わせも非常に楽なところ。
・レンズが非常に明るく(ワイド端でf2.0、テレ端でf2.8)コンバージョンレンズをつけても極端に暗くならないこと。
・光学3倍ズームの域が35mm換算で35mm~105mmで、(花や昆虫をメインに撮影したい私にとっては)使いやすいズーム域であったこと。
・カメラのフォルムになんとなくクラシックカメラのようなノスタルジックさを感じれたこと。
などです。

このカメラを使っての当時の写真を載せておきます。






(これらの写真以外にもArcadian Fantasyに写真を載せています。)

私の癖なのか、それともこのカメラのせいなのか・・今だわかりませんが??  このカメラ、若干後ピン気味になります。なので思いっきり寄る場合、若干瞳1つ分ほど後退して撮る癖が出来てしまいました。・・・と言いましても、距離にしてほんの2~5mmほどのことです。

それはさておき、CCDが補色系フィルターでした。原色系のほうが良いのになぁ、などと当時は思っていました。特に赤紫色が若干変?と思うこともしばしば・・・・・が、今見ると結構私好みの色だったと思います。それとレイノックスのマクロコンバージョンとの相性も良く、なんとか一眼レフに匹敵するような透明感が出ないものかと考えた秘策は、倍率の低いマクロコンバージョンを取り付け、ケラレが出ないぎりぎりまでワイドにして撮影するということもしばしば・・。そうすることによって背景処理が銀塩に近いボケ具合を出しつつ、且つ一眼レフのような透明感も出せたと思います。それが出来たのも、このカメラのレンズが明るいお陰だと思っています。(ただ、この方法は私がこのカメラで出来た独自の方法でして、あまりオススメできる方法ではないかと思います。)
徹底的に使うことによって、私にとっては手となり足となり、痒いところに手が届くデジカメとなった思い出の愛機です。