ブログの更新をずっと行っていませんでした。
一年以上書きたいと思いつつ、書けませんでした。
そして、最近やっと徐々に気持ちの整理がついてきて、今までの事を書こうかなと思える気持ちになったので、ここに記しておこうと思います。
昨年8月、福井を出ました。
そして当時次男が住んでいた静岡のアパートに、次男と同居していました。
そこは新居町というところで、太平洋と浜名湖に挟まれたところでした。「今切口」という地図でみると丁度浜名湖と太平洋が繋がる、そんな先端の場所まで歩いて15分くらいの所に住んでいました。
のどかなところで、毎日「弁天島海浜公園」まで散歩して、その公園内に祭られている小さな弁財天にお参りしたり、湖を眺めたり、海岸を散歩したりするのを日課にしていました。
新居町は冬でもからりと乾燥していて、心が穏やかになる。。そんな風に感じられて大好きな街でした。
実は当時、去年静岡に引っ越す前、私には気がかりなことが二つありました。一つは、食後30分くらいでHbA1cが7.5%になり、立派な糖尿病になっていたこと。
もう一つは、6年から7年前に寛解して収まっていた「うつ病」がまたぶり返してきたことでした。
なぜ福井を出たかの理由ですが、私は6~7年まえに鬱病になり、一年くらい心療内科に通い薬も飲んで、一旦寛解したと思ったのですが、昨年あたりからまた似たような症状が出始め、なにか苦しい、どうにも朝起きるとつらい。。。しんどくてしんどくて、次男がみかねて静岡で海でも眺めてくらしてみたらと言ってくれたのです。それがキッカケとなり、新居町に移り住んでからは、糖尿病のほうは自分でコントロールできるくらい良くなったのですが、うつ病のほうはあまりよくなってはいきませんでした。
なぜなら新居町では、まずとにかく糖尿病をなんとかしたいと思ったのです。
食事療法(糖質をかなり控えながら、その分タンパク質を多めに摂取)と、食後の散歩を続けたところ、3か月で体重が約10kgくらい減り、HbA1cも6.2%、その半年後5.9%、そして今年の4月には5.7%と下がってきました。
私の場合糖質を少し多くとるだけで、すぐに体重に反映されます。最近では少し糖質を多く摂取したなと思った日には、出来るだけ体を動かすようにして、体調をコントロールして今も維持しています。うつ病でつらい時にはあまり外にも出たくない日々もありましたが、新居町は本当にのどかで静かな町でしたので、湖と海を見ながら暮らす生活は、当時の私には合っていたようです。
そのような暮らしをしていたのですが、今年に入り、次男が会社を辞めて、東京で本当に自分がやりたかった新しい仕事を見つけました。
東京での新しい仕事を開始するまで、数か月ほど自由な時間があるからということで、次男は南米へと旅行へ行くことになりました。
静岡のアパートを解約して。
メキシコ、キューバ、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、そしてブラジル。。。。
その期間、彼の家財道具を預かり、私は友人が居る大阪にアパートを借りて、引っ越してきました。
6畳一間の和室に小さなキッチン兼ダイニングルームが付いた、小さなアパートを借りたのです。こんな人生折り返したおばあさんになってから、生まれて初めての独り暮らしをするなんて!
でもとにかくそうしたかったのです。そしてその暮らしをとりあえず大阪でスタートさせたのです。
大阪では今度はちゃんと病院にも通って、きちんと私のこころと向き合おうと思ったのでした。
新居町に住んでいたころは、心療内科に通うことすら、しんどくて病院を探しても行くのをためらっていました。
心の中で「どうせ薬に頼るだけで、また前回と同様に先生には心の中のつらさをわかってもらえないだろう」と、自分で自分を判断して、先生を信じようと思う気持ちがわかなかったのです。
今回は病院を選び(前回は心療内科でしたが、今回は精神科です)、話しやすい先生にも出会えて、これまでのいきさつもお話して、お話している間中、涙が止まりませんでした。他人の前であんなに泣いたのは、久しぶりだったかもしれません。先生は、やっぱりしばらくお薬を飲んだほうがよいと判断され、薬を飲みながら様子をみていくことになりました。
数か月薬を飲んでいたところ、朝起きたら急に、世界が変わったように感じました。
それまでの重く暗い鉛がお腹に入っているような気分が突然軽くなって、何かしら爽やかな気分に変わっていたのです。外の天気も良いので、写真も撮りたい、とか、どこか遠くまで出かけてみようかとか、すごく外交的になっていたのです。
うつが治ってきたのかも(治るというより寛解というのですが)と思っていたのですが、なんかテンションが少しだけハイになっているような気がして、それを先生にお伝えして、しばらく様子をみていただいたところ、お薬が変わりました。
それまでは、レクサプロ、ロラゼパム、レパミピドだったのですが、レクサプロが半分の量になり、代わりにバレリン錠という錠剤が追加されました。
今まで私は自分はずっとうつ病だと思っていたのですが、でも少し軽躁状態の時があるみたいです。
自分では気づかなかったのですが、過去ブログを読んでいると、調子のよい時にブログを書いていたように思います。それとテンションが少しハイな時はいろんな事に挑戦しているみたいですが、本当につらい時は数か月もブログを書けなかったり、自分をずっと責めていたりしていたみたいです。
私の本当の病名は何なのか。。。。
先生にはまだ正式な判断はいただいていません。調子が良い時が時々あってそれは普通に穏やかなに過ごせるのですが、基本はやはり気持ちがなんとなく重い状態が続く時があって、それらが混ざっているような感じさえします。今は穏やかな気持ちがこれから増えていくことを願っています。
今後も大阪の暮らしの事、体調の事など、忘備録を兼ねて、気分の良い日には綴っていきたいと思います。
一年以上書きたいと思いつつ、書けませんでした。
そして、最近やっと徐々に気持ちの整理がついてきて、今までの事を書こうかなと思える気持ちになったので、ここに記しておこうと思います。
昨年8月、福井を出ました。
そして当時次男が住んでいた静岡のアパートに、次男と同居していました。
そこは新居町というところで、太平洋と浜名湖に挟まれたところでした。「今切口」という地図でみると丁度浜名湖と太平洋が繋がる、そんな先端の場所まで歩いて15分くらいの所に住んでいました。
のどかなところで、毎日「弁天島海浜公園」まで散歩して、その公園内に祭られている小さな弁財天にお参りしたり、湖を眺めたり、海岸を散歩したりするのを日課にしていました。
新居町は冬でもからりと乾燥していて、心が穏やかになる。。そんな風に感じられて大好きな街でした。
弁天島海浜公園の中の弁財天
もう一つは、6年から7年前に寛解して収まっていた「うつ病」がまたぶり返してきたことでした。
なぜ福井を出たかの理由ですが、私は6~7年まえに鬱病になり、一年くらい心療内科に通い薬も飲んで、一旦寛解したと思ったのですが、昨年あたりからまた似たような症状が出始め、なにか苦しい、どうにも朝起きるとつらい。。。しんどくてしんどくて、次男がみかねて静岡で海でも眺めてくらしてみたらと言ってくれたのです。それがキッカケとなり、新居町に移り住んでからは、糖尿病のほうは自分でコントロールできるくらい良くなったのですが、うつ病のほうはあまりよくなってはいきませんでした。
なぜなら新居町では、まずとにかく糖尿病をなんとかしたいと思ったのです。
食事療法(糖質をかなり控えながら、その分タンパク質を多めに摂取)と、食後の散歩を続けたところ、3か月で体重が約10kgくらい減り、HbA1cも6.2%、その半年後5.9%、そして今年の4月には5.7%と下がってきました。
私の場合糖質を少し多くとるだけで、すぐに体重に反映されます。最近では少し糖質を多く摂取したなと思った日には、出来るだけ体を動かすようにして、体調をコントロールして今も維持しています。うつ病でつらい時にはあまり外にも出たくない日々もありましたが、新居町は本当にのどかで静かな町でしたので、湖と海を見ながら暮らす生活は、当時の私には合っていたようです。
そのような暮らしをしていたのですが、今年に入り、次男が会社を辞めて、東京で本当に自分がやりたかった新しい仕事を見つけました。
東京での新しい仕事を開始するまで、数か月ほど自由な時間があるからということで、次男は南米へと旅行へ行くことになりました。
静岡のアパートを解約して。
メキシコ、キューバ、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、そしてブラジル。。。。
その期間、彼の家財道具を預かり、私は友人が居る大阪にアパートを借りて、引っ越してきました。
6畳一間の和室に小さなキッチン兼ダイニングルームが付いた、小さなアパートを借りたのです。こんな人生折り返したおばあさんになってから、生まれて初めての独り暮らしをするなんて!
でもとにかくそうしたかったのです。そしてその暮らしをとりあえず大阪でスタートさせたのです。
大阪では今度はちゃんと病院にも通って、きちんと私のこころと向き合おうと思ったのでした。
新居町に住んでいたころは、心療内科に通うことすら、しんどくて病院を探しても行くのをためらっていました。
心の中で「どうせ薬に頼るだけで、また前回と同様に先生には心の中のつらさをわかってもらえないだろう」と、自分で自分を判断して、先生を信じようと思う気持ちがわかなかったのです。
今回は病院を選び(前回は心療内科でしたが、今回は精神科です)、話しやすい先生にも出会えて、これまでのいきさつもお話して、お話している間中、涙が止まりませんでした。他人の前であんなに泣いたのは、久しぶりだったかもしれません。先生は、やっぱりしばらくお薬を飲んだほうがよいと判断され、薬を飲みながら様子をみていくことになりました。
数か月薬を飲んでいたところ、朝起きたら急に、世界が変わったように感じました。
それまでの重く暗い鉛がお腹に入っているような気分が突然軽くなって、何かしら爽やかな気分に変わっていたのです。外の天気も良いので、写真も撮りたい、とか、どこか遠くまで出かけてみようかとか、すごく外交的になっていたのです。
うつが治ってきたのかも(治るというより寛解というのですが)と思っていたのですが、なんかテンションが少しだけハイになっているような気がして、それを先生にお伝えして、しばらく様子をみていただいたところ、お薬が変わりました。
それまでは、レクサプロ、ロラゼパム、レパミピドだったのですが、レクサプロが半分の量になり、代わりにバレリン錠という錠剤が追加されました。
今まで私は自分はずっとうつ病だと思っていたのですが、でも少し軽躁状態の時があるみたいです。
自分では気づかなかったのですが、過去ブログを読んでいると、調子のよい時にブログを書いていたように思います。それとテンションが少しハイな時はいろんな事に挑戦しているみたいですが、本当につらい時は数か月もブログを書けなかったり、自分をずっと責めていたりしていたみたいです。
私の本当の病名は何なのか。。。。
先生にはまだ正式な判断はいただいていません。調子が良い時が時々あってそれは普通に穏やかなに過ごせるのですが、基本はやはり気持ちがなんとなく重い状態が続く時があって、それらが混ざっているような感じさえします。今は穏やかな気持ちがこれから増えていくことを願っています。
今後も大阪の暮らしの事、体調の事など、忘備録を兼ねて、気分の良い日には綴っていきたいと思います。
2 件のコメント:
こんにちわ。
"Arcadian Fantasy"や当サイトを今年から拝見させていただいているものです。
つい最近まで更新されていたのに…と思っていましたら、ご事情があったのですね。
私にも鬱病の友人が居りますが、職を変更したり、ゆっくりとした時間を過ごすことによって寛解している状態のようです(本人にしか根本的な状態はわからないと思いますので)。
上手にゆっくりと、ご自身の時間を見つめてください。
ところで、私もPENTAX750Zを持っています。古くて電池が切れるとリセットされてしまいますがとても良いカメラですね。気に入って使っています。
機会があればまたコメントさせていただいてもよろしいでしょうか?
井川様、コメント有難うございます。
Arcadian Fantasyもご覧頂き嬉しく思っております。井川様もPentax750zをお持ちなのですね! あのカメラは本当に良いカメラでしたね。キリッとした写りでお気に入りのカメラでした。〜でした、と書きましたのは、静岡に引っ越す前に多くのカメラを手放してしまい、750zもその時に売ってしまったのです。ちょっと残念な気もします。あ、写真もブログも体調の良い時は続けていくつもりですので、拙いブログですがまた何時でもご覧頂いて、時にはコメントを戴ければ大変嬉しく思います。井川様のコメントを励みに写真続けよう思います。本当に有難うございました。
コメントを投稿