12.07.2012

語学のこと

先日、インドネシア人の友人と母国語について話していた時のこと。

友人は日本に来て21年目で、普段は日本語を話しているのですが、最近インドネシアに住む家族と電話している時に、咄嗟に母国語であるインドネシア語が出てこない時があると言っていました。
彼女は、多少発音に違和感はあるものの、かなり綺麗な日本語を話します。
一般的な日本人と比べても、彼女の話す日本語はかなり上品で美しいと思います。
でも、かなり流暢な日本語を話されるのですが、未だに漢字はほとんど書けないし読めないと言っていました。「聴く・話す」と「読む・書く」はどうやら連動しないようです。
そんな彼女ですが、話す日本語の流暢さに反比例して母国語が咄嗟に出てこないというのは、ちょっとショックだった様でした。

実は友人同様、私も英語が最近出てこない時や、書けない事があって、なんとかしたいなと思っていたところでした。
思えばギターにしても、学生の頃に結構弾けたハズなのに、20年以上ほとんど触っていなかったら全くと言っていい程覚えていなくて、ショックを受けた事があります。それで、なにかギターの代わりに楽器に触れていたいと思い立ち、ギターと似ていて持ち運びに便利なウクレレを習い始めたのです。

で、英語についてですが、使っていない訳ではないのでゼロに戻っている訳ではないのですが、それでもかなり忘れている気がします。
好きな英国人や米国人のブログは時々読んでいますし、ネットで気になることがあって調べる時も、有効な情報は英語だろうが、日本語だろうが関係なしに読んでいるので、忘れているハズでは無いと思っていましたが・・・・なんだろ?正直なところ、最近英語に自信が無いのです。
多分、友人と同じく日頃話していないから、咄嗟に言葉が出てこない時があって、それがちょっとショック。
英語以外でも、年齢的なものもあり、花の名前とか、人の名前とかがやっぱり咄嗟に出てこないことも。でも英語の場合は年齢的な物忘れとはちょっと違うような気がします。

そして実をいうと、日本語にも自信が無いのです。日本語は使っているのに自信が無いって変ですが、この気持ちはずーっと以前から持っていて、こうやって今日本語でブログを書いていても、もっと正しい日本語の使い方があるのではないかしら?とか、もっと上手な言い方があるのではないかしら?とか。。。美しい日本語を使われていらっしゃる方々のブログを読んでは、なんて皆さん言葉選びが上手なんだろう。。。と関心することばかり・・・。

このような事を思うのは、多分基礎的な事が理解できていないからじゃないかしら?とも感じているのです。「語学の基礎」というもの。
美しい言葉とか正しい言葉を使うためには、ちゃんとした基礎があったほうが自信が持てると思うのです。
そう、丁度先日家をリフォームした時に、基礎からきちんとリフォームしたように。
いくら床板を綺麗にしても、基礎の土台がしっかりしていなければ、グラグラしてしまいます。
つまり、基礎というのは一番大事な土台のこと。底辺のこと。

なので、基礎的な事をきちんと学んで、自分が話す言葉にもっと自信を持ちたいのです。
とりあえず、まず英語ですが、本当に基礎的な易しい英語の学習書を使って学び直そうと思っています。
特に文法とか。
選んだ教材は、ネットで評判の良かった「ALL IN ONE Re-Start」というオールマイティに基礎英語が学べそうな本です。(出版社:Linkage Club、著者:高山英士 氏)Amazonでの内容紹介が正に今の私の思っていたことと同じだったから。日本語の文法用語が理解出来るかなと不安はありますが、日本語の勉強にもなりますし。

昨年Evernoteを使ってカレンダーの言葉を書きとっていたように、今回もEvernoteを使ってみようと思います。
冬の間の3ヶ月ほど掛けて、この「ALL IN ONE Re-Start」を続けていこうと思います。
そして語学の記録も時々こちらに綴っていきたいと思っています。

11.24.2012

リフォーム後に変わったこと。

1階のLDKのリフォームが完了しました。
リフォームの理由は、義父が部屋からLDKまで歩きやすいように、バリアフリーにすることと、夏涼しく冬暖かい部屋にすること、そして迫り来る自分たちの老後も気持ちやすく暮らせるようにすること・・・。
子育て世代の方と、私のような子育ても終わり老後を考え始める世代とでは、リフォームに対する考え方も違うと思うのです。
リビングからみたダイニング 

キッチン側から観たリビング
掃除がしやすいようにシンプルに。

 キッチン
片付けやすいように
なるべくシンプルに清潔に。

 食器棚
地震があっても食器が飛び出しにくいように。

リフォームをして、雑貨などのモノに対する考えも少しだけ変わりました。
リフォーム前までは、気に入った雑貨などはとりあえず購入して、どこに置くかは後から配置を考えていて、必要以上にモノに溢れていたように思えます。
雑貨などを見るのも飾るのも、実は今でも大好きなのです。
でも今回のリフォームを期に、扱いやすいもので、なるべく自然素材で、年を重ねても付き合えるもので・・・・・そして必要以上にモノを増やさないように・・・飾るのは少しだけにしようと考えるようになりました。
食器棚には必要な食器だけを残し、食器は丁度単身赴任で食器が必要になったご家族の方や友人へ、本類は本好きな友人へ、鞄や雑貨類も必要な分だけ友人が貰い受けて下さいました。

私くらいの年齢になると、近い老後の生活も考えるようになってきます。
20代、30代の頃には考えられなかったのですが、この歳になると食器がたくさんあっても、日々の食事自体がシンプルになってきて、そんなに食器が必要じゃ無くなってきたり、高い場所に脚立に乗ってまでモノを取るのが辛かったり、高い場所の割れ物や重い物を取り損ねて落とすのでは・・と思うと、なるべく手の届くところで、取りやすいように、扱いやすいもの・・・などと考えるようになりました。

日々の掃除やお手入れがしやすくて、整理整頓がしやすくて、清潔感溢れる暮らしをしたいと思うのと、そして自分がいずれこの世を去る時に、自分の所有している「モノ」が、残された家族にとって処分に困ることが無いように・・・・そんな事もふと思うようになったのです。

ところで、現在の私の部屋ですが・・・
相変わらずまだモノに溢れている私の部屋です。大好きで以前揃えた雑貨などが有ります。
友人のところに迎えられて、お嫁に行ったモノもあって、これでも以前よりかなり少なくなりました。
残ったのは、トーベヤンソン・コレクションの本、ミシン、裁縫道具、ムーミンやフクロウのメンちゃん、リカちゃんにリトルプーリップ、次男が作ってくれたマリメッコのファブリックパネル、イッタラのグラス、キャス・キッドソンの小物などなど。
今はまだ手元に置いておきたいものだけど、この部屋も、また考えが変わる時がくるのかもしれないなぁ。。。
大切なモノ、可愛いモノ、好きなモノ。。。お手入れや暮らしやすさを考えながら、無理せず、じっくりとつきあっていきたいなぁと思います。

11.16.2012

寒くなってきたので・・・

昨日北陸はとても寒い一日となり、夕飯はおでんにしました。
LDKのリフォームで、キッチンにIHクッキングヒーターを導入しました。以前はガスだった為、古いおでん鍋は使えないかも。。。と覚悟していたのですが、義母が残してくれたおでん鍋は、ホーローだった為全く問題なく使えました。
とても古い鍋なのですが、このお鍋、本体は分厚い黒いホーローで出来ていて、持ち手はごげ茶色の木製という、なかなか凝った作りのレトロなお鍋です。(でも、何故か蓋が無い!(笑)なんとか他の鍋の蓋で兼用できました。。。)
そういえば、義母から譲り受けた雪平鍋も、やたらと重いなぁ。。。と思っていたら、IHでも使えるように底がステンレスになっていて、これもそのまま使えました。
お鍋をほとんど買い変えないといけないのかなぁ。。。と思っていたので、非常に助かりました。


寒くなってきたので保温ポットを出してきたのですが、色がメタリックな赤で、キッチンに置くとなんだか色が妙に浮いてしまうのです。
そこで、このポットにもジュートで編んだお洋服を着せてみました(笑)
今まで無機質で表情を感じた事が無かったポットだったのですが、ジュートで包んだ途端、不思議な事に生き物のように表情を感じます。まるでペンギンがお洋服を着せられて、ツンとおすまししているように感じるのです。なんだか可愛くて微笑ましい。

今朝は、昨日とはまるで違い、日中は久しぶりの快晴でした。
午前はウクレレ教室でしたが、前回の反省も踏まえ、毎日少しずつでもウクレレに触って練習してきたおかげで、どうにか伴奏に合わせて弾く事が出来ました。
やはりちゃんと弾けると嬉しいものです。
でも明日からはまた寒さが戻ってくるとか。。。

先日からウェイン・W・ダイアー博士の著書"Change Your Thoughts, Change Your Life"の邦訳版「老子が教える 実践道(タオ)の哲学」を読み始めました。ダイアー博士の本を読むのは久しぶりです。大好きな老子の『道徳経』81章をダイアー博士なりの見解と解釈で書かれた著書です。
この本を手にとってみると不思議なことに、表紙に訳者の名前が書かれていません。
今までですと、柳町茂一氏や、渡部昇一氏などの名前が書かれていたのに・・・はて?と思いつつ、本の後ろのほうの出版社情報を読んでみると、「柏倉美穂さん」となっていました。調べてみるといろいろなジャンルの本の翻訳をされていらっしゃる方のようで、ダイアー博士の翻訳者としては始めてのようです。老子の道徳経とダイアー博士の"Change Your Thoughts, Change Your Life"をどのような日本語に置き換えてあるのか・・・も楽しみながら読みたいと思っています。
秋の夜長に、温かい飲み物と読書。。。家に居る時間が長くなりそうです。

11.02.2012

継続の偉大さ、改めて感じる。

今日は、久しぶりのウクレレ教室の日でした。
リフォームなどでバタバタしていて、一ヶ月もウクレレを休んでしまいました。
日々の練習を休めば、その時の状態で停滞するのではなく、後退してしまう。。。分かっていても、それをつくづくと感じました。まるで記憶が無くなってしまったかのように、指も腕も頭も曲についていけないどころか、弾き方自体まで忘れてしまっているのです。

「一日5分でもいいから、ウクレレを触って、弾き続けたほうがいいですよ。」
先生のおっしゃるとおりだと思います。
1時間練習して1週間休むよりは、一日5分でもいいから練習を続けていくほうが、記憶されていく。。。。ウクレレだけじゃなく、語学学習やその他いろいろな事にも言えることだと思います。

例えば、日々の掃除。
3年前から、「トイレ掃除は朝一番に必ず毎日やる」と決めて続けてきました。
旅行とかで家を空けた日以外、ずっと続けてきたのですが、毎日毎朝、汚れていれば勿論、汚れていなくても毎朝起きて一番最初に掃除をしていたら。。。。。綺麗な状態を維持出来るので、毎日の掃除時間が短くて済むということに気づきました。毎日掃除をしていると、サッと拭くだけで擦らなくても蛇口はピカピカに綺麗だし、ホコリもたまる前に拭くのでたまらないし、綺麗な状態をキープ出来て、日々の掃除が楽なのです。
これを昨年は毎朝15分の語学学習や、100円ノートのスクラップブックで実践してみて、「私はためずに短い時間でやったほうが、効率よく続けられる」と気づいたのです。

そう気づいていたにも関わらず、それをウクレレに活かせていなかった。。。
というか、ウクレレの事を一ヶ月思い出しもしなかった。。。

今日帰宅後、習ったウクレレのソロパートを練習しました。
まだ上手く弾けないけれど、毎日続けてみよう、継続していこうと、心に誓ったのでした。

習い事といえばもう一つ。「茶道」があります。
ただ何となく、いつかお茶を習ってみたいと密かに思っていたのです。
年々、日本文化の良さやに触れたいという思いも強くなってきていましたし、所作の美しさ、立ち居振る舞いなど、若い時は思いもしなかった仕草なども、美しくありたいと思うようになってきていたのです、
ただ、最初の頃「茶道」と聞くと、敷居が高く感じれて一歩が踏み出せなかったのですが、いろいろな「茶の湯」関連の本を読んでいたところ、ある本(森下典子さんの著書『日日是好日』)も読んだのをキッカケに、やっぱり思い切ってお茶をやってみたいと思ったのです。
どこの教室に通うかと探していたら、お友達の紹介である先生とのご縁を結んでいただき、まるで用意されていたようにトントン拍子に話が進み、不思議なくらいスムーズに「茶の道」に入っていました。

「茶道」。
通ってみると、何故こんなに出来ないのか。。。と我ながら唖然としました。
歩き方、挨拶の仕方、お茶のいただき方、お点前に至っては、何度やっても覚えられない。。。。
盆略、千歳盆略、薄茶、濃茶。。。
それぞれに、方法が違い、更に季節ごとにお道具が変わる。
柄杓(ひしゃく)でお湯を汲む時戻すとき、水を汲むとき、持ち方も変わるし汲み方も変わる。

先生は
「頭で覚えようとしなくていいです。ココに来て唯お茶を点て、お茶をいただく。頭で覚えるのじゃなく、何度も繰り返せばいいのですから。そのうちスーっと身体が動くようになります。」
「行儀作法を身につけるのもいい事ですが、それ以上にお茶は『おもいやりのこころ』『おもてなしのこころ』を育むのです。」
とおっしゃっています。

頭で覚えたものって、やらなければすぐ忘れてしまいます。
お茶もウクレレもそうですが、覚えようとしている時は身につかない。唯唯身につくまで練習を重ねる。継続をする。そうやっているといつか突然、氷が溶けて中に入っていたモノに手が届くように掴むことが出来るようになる。それまでは唯唯氷を溶かす作業のように、温めていればよい(継続していればよい)。試験の前の一夜漬けじゃなく、ずっと続けていくこと自体に価値があるのだと思えるようになりました。

更にお茶は、こんな事にもルールがあるのか。。。と思うほど、細かい作法があるのですが、それがとても気持ちいいと思えるほど、「お茶」の時間は神聖で優美で、静寂て、空気が澄んでいて、季節感を目や味で感じれるのです。
お点前をする人、客人、双方が思いやりの心で、同じ空間に居る。
細かい作法があっても堅苦しいどころか、その逆で「お茶」の時間は日々のストレスが軽減される時間なのです。出来るようになる喜びもですけれど、ただその場所に居るということ。
武士が戦いの合間にお茶を嗜んでいたというのも、ほんの少しですけれど分かった様な気がします。

ずっと続けていきたいと思います。

9.24.2012

萩の季節に

庭の萩の花はまさに今満開の時期を迎えています。
庭の萩の花
この萩。
4年ほど前に「萩の寺」として有名な「瑞源寺」のご住職様に、30cm程の挿し木を戴き、それを庭に移植したものです。
それが毎年大きくなって、今年はとても見ごたえのある姿になりました。
花付きもとても良く、可愛い蝶々のようなピンクの花がすごく美しくもあり、清楚でもあり。。。
裏庭の野菜畑の隣に植えてあるので、この時期にはもうすぐ収穫予定の「さつま芋」の茎と一緒に鑑賞することになりました(笑)
 
春の桜もそうですが、萩の花が散り始めると、萩の株の下辺り一面が花びらで覆われて、淡いピンク色の絨毯を敷き詰めたようになります。

この萩の花が終わる頃、「夏が終わったのに、まだ日中は暑いわねぇ」と感じていた季節も終わり、本格的な「秋」へと急に変化します。
我が家は、それを目安に「さつま芋」の収穫が始まります。
食欲の秋♪ 
読書の秋♪
芸術の秋♪

今年は特に「読書」を楽しみたいなと思います。

平和に、穏やかに静かに過ごせる。
それがどんなに幸せなことか。。。有難いことです。

9.22.2012

梨木香歩さんの本

最近、梨木香歩さんの本を続けて何冊か読みました。
以前梨木香歩さんの「家守綺譚」を読んでから、非常に「梨木香歩」という作者の思考というか、考え方に興味が湧き、梨木香歩さんの著書をいろいろ読めば、作者の伝えたいことの全体像が判るようになるかな。。。と思ったのです。
何故興味を覚えるのか・・・読んでいる途中途中で、本を閉じてため息が出たほどに、私が願っているような。。。何かしら同じモノを感じたからです。
思考?感覚?民族と民族?、個と個?、宗教への見解?、価値観?、人間と他の生物との関係?、生きるということへの問いかけ?などなど。。。
生きている間には、決して100%解らないかもしれないけれど、それでも「私」が「私」として生きていく為の、「道」を模索している時に「そうそう」と納得できる部分。。。が梨木香歩さんの本を通して得られているように感じるのです。

最近読んだのは、「からくりからくさ」「りかさん」「蟹塚縁起」「マジョモリ」「裏庭」「村田エフェンディ滞土録」「f植物園の巣穴」「春になったら苺を摘みに」「西の魔女が死んだ」「ペンキや」「沼地のある森を抜けて」「丹生都比売」。。。

それぞれの本の個別の感想は、機会があれば記したいなと思います。
どの本からも、読後「あぁ読んで良かった!」という気持ちでいっぱいになりました。
今後もまだ読んでいない梨木香歩さんの著書は全て読んでみたいと思っています。


9.14.2012

リフォーム中

今、我が家はリフォーム中です。
3年前に義父の部屋とトイレを増設したので、今回は母屋をバリアフリー化する為に、リヴィングとバスルームとキッチンをリフォームすることに。

リフォーム中は仮設のキッチンとお風呂場を設置していただいているので、私の生活にはさほど支障をきたしていないのですが、足の弱い義父にとっては、仮設のお風呂入口の少しの段差の上り降りが時々しんどそう。。。
それでも、最近グルコサミンだとか、コンドロイチンなどを飲み続けているおかげなのか、本人曰く、以前よりもかなり膝が楽に曲げ伸ばしが出来るようになったと言って、少々の段差もリハビリのつもりで頑張っている様子です。
確かに、4年ほど前は一時期、病院の検診などは、車椅子で院内を移動していた事を思えば、かなり回復しているなぁ。。。と感じます。
リフォーム中は義父には不便をかけますが、リフォーム後はもっと快適になると思います。

さて、今までリビングやキッチンに置いてあった生活道具や雑貨を選別して、リフォーム後に必要な物とそうでない物をこの機会に見直そうと思っています。

当面の仮設キッチンとお風呂場で必要な食器や調理器具などは残し、後はダンボール箱に中身が判るように品目を記して梱包していきました。
現在、そのミニマムな生活道具で暮らしてみると、これが思っていたよりも不自由ではないという事に気づきました。
否、不自由どころか、これだけのモノで暮らしていけるんだなぁと。。。

特に食器は、今まで食器棚に置かれていた量の1/3から1/4くらいで日々の食事に事足りています。
雑貨はなるべくこれ以上増えないように、今持っているモノを工夫してみようと思います。
あと、本。
私は今まで大きな本棚があったらなぁ・・と思っていましたが、本も必要な本を見直そうと思います。

ついでに今まで花壇だった2畳ほどのスペースを、薬味ガーデンにして毎日の料理に使いたいものを植えてみようと思います。

ミニマムでも使いやすく、でも暮らしを楽しみたいなぁと思います。

7.24.2012

7月の収穫と、「内気」のコントロール

庭のトマト(桃太郎)
先日、トマトがだんだん赤くなり、明日収穫しようかな・・・と思っていたところをカラスに食べられてしまったので、それからはネットで覆うようにしました。

ハマナスの果実(ローズヒップ)
ハマナス(ロサ・ルゴサ)は真夏に真っ赤に色づきます。
まるで真っ赤な大きめのプチトマトのように見えるらしく、道行く方々から、「これ何の実ですか?」と時々訊ねられたりします。
赤く熟したら、生食もできます。
果実を縦半分に割って、中の種と毛を洗い出せば、そのままガブリ!
お味は、例えるなら棗にちょっと似ています。
(水分の少ない甘さ控えめの林檎みたいな味・・かな。)

ハマナスも薔薇の仲間なので、果実はロサ・カニナ(ドッグローズ)や、ロサ・エグランテリア(スイートブライヤー)のように「ローズヒップ」と呼ばれています。
ローズヒップはビタミンCが豊富なので、ロサ・カニナやロサ・エグランテリアの果実は乾燥してローズヒップティーにします。
ハマナスも、ビタミンCがとても多いのですが、果実が他の薔薇よりもかなり大きいので、そのまま生で食べるのに楽なんです。
一度にたくさん収穫出来るようになれば、他のローズ・ヒップ同様、ジャムやピューレ、果実酒などにして保存しています。


今朝収穫した野菜です。
トマト4個、茄子2個、巨1大な胡瓜1本。
野菜が採れだしてからは、トマトや、胡瓜をおやつにすることが多くなりました。
これらの野菜って、お腹いっぱいになる割に、カロリーは低いんですよね。
トマト大サイズでも60kcal前後、胡瓜も特大サイズのものでも25kcalくらいだそうで、トマト1個と胡瓜1本の両方を食べたとしても、100kcalにもならないのです。
お腹いっぱい食べて、ビタミンCやリコピンが摂れて、カロリー控えめでとても有難いです。

勿論料理にも使いますよ。
最近では、トマト、胡瓜、茄子のいづれかが必ず食卓にのぼります。
毎朝野菜を収穫してから、さて今日はこれで何を作ろうかな?と、あれこれ考えながら、あとは必要な香草を摘みます。

ローズマリー

オレガノ

ローレル(月桂樹)
今の時期だと他にも、バジル、レモングラス、ミント類、タイム、セージ、紫蘇などなど。
東洋、西洋の香草が茂っていて、料理やお茶に利用できます。

春から夏にかけてスギナやドクダミを収穫したので、我が家のお茶はドクダミ茶とスギナ茶になりました。薬草茶を飲んでいるから特別体調が良い!と驚くほど効果を感じるほどではないのですが、昨年よりも体調も良く過ごせています。

さてさて、毎朝の日課としては、気功と、太極拳を行なっています。
ずっと行なってきたスワイショウから始まり、孫俊清氏の著「タオの気功(築地書館:ISBN4-8067-4528-6)」を参考に呼吸法や養生気功を行い、蘇いく彰氏の著「気の力を覚醒させる太極拳―劉雲樵伝 楊家太極拳壱百八式長拳(東邦出版/ISBN-13: 978-4809408168)で、気のコントロールを試みています。

以前昼食を食べた後、ウトウトと眠くなった時に、右腕の中を何かがモゾモゾと這い上がるように動き出し、その後丹田からも上へ何かが動くのを感じた時、びっくりして飛び起きたことがありました。
この感覚を体験した時、私的には多分「体内の気(内気)」が勝手に動き出したのでは・・・と思ったのです。
それからは、内気をもっと強化して、意識によって内気の流れを自由自在にコントロールする為の訓練を取り入れるようになりました。
焦らず、毎日コツコツ。。。
庭で収穫した薬草茶と同様、孫氏のタオの気功や、蘇氏の太極拳は、私に合っているみたいで、相乗効果的に、体調が少しずつ変化しているのです。

庭で野菜や香草を収穫して食に活かし、気功や太極拳で気の流れを整える。。。。
ささやかな事ですが、毎日がとても楽しいのです。
最近は、せっかく庭で薬草が採れるのだから、庭の草木を生薬として見るようになってきて、これらを薬膳として、もっと使いこなしたいなと、色々学んでみようと思っています。

6.14.2012

マルベリー収穫

6月14日の朝のマルベリー
(Sweet Mulberry - 西洋の桑の実です)
6月に入ってからほぼ毎朝、マルベリーの収穫を行なっています。
毎年6月は一ヶ月間毎朝の日課となります。
6月中旬のこの時期は、収穫のピークとなります。
マルベリーの果実は淡い緑→赤→黒の順に色が変化していき、黒く熟したら食べ頃です。
黒くなった果実は、生食出来る期間が短いため、躊躇せずどんどん収穫していかないと、すぐに熟し過ぎてしまうのです。
なので、収穫の量が多くても少なくても、とりあえず毎日チェックして、収穫をしています。
 今朝収穫したマルベリー
今年は剪定を思いきりし過ぎた為、収穫量は例年の半分ほどです。
それでも今朝の収穫はザル2杯分有りました。
大きな果実は、手の親指ほどの大きさのものもあります。
果実は大きすぎると大味になって甘みが薄くなる、とよく云われますが、我が家のマルベリーに関しては、一概には云えず、大きくてもとても甘かったり、小さくても酸っぱかったり・・・。
生食で食べる場合、当りハズレは賭けみたいなものです。

収穫量が多い場合は、洗って水気をきってすぐにジャムやソースや果実酒にしています。
収穫量が少ない場合は、生食でそのまま食べるか、搾ってジュースにするか、或いは1~2日分を冷蔵庫に保管して、瓶に詰められる量になってから加工します。
冷蔵庫に生のまま保存出来る日数は長くても3日まで・・・。3日以上は生での保存だと味が落ちてしまうので厳しいと思います。ジャムや果実酒に加工する量が収穫できなくて、ある程度確保出来るまで溜めておきたい場合や、忙しくてすぐに加工が出来ない場合などは、収穫して洗ったらすぐに冷凍保存しておくと、鮮度が保てると思います。

今日は、マルベリーのソースをつくりました。
お砂糖をまぶした状態
マルベリーの量に対して約半分くらいのお砂糖を使います。
(※追記:お砂糖は色々試した結果、私は三温糖が一番美味しく感じました。
マルベリーの淡白な甘さと上手く合い、コクが出ます。)
まず用意した砂糖の半分の量をマルベリーにまぶしてしばらくなじませます。
30分ほど置いてから、コトコトと火にかけ、途中で残りの砂糖も投入します。
マルベリーが煮詰まり、半分くらいの量になったら(約1時間くらい掛かりました)、最後に絞ったレモン汁(この量だと大さじ1~2杯ほど)を入れて出来上がりです。
熱湯消毒した瓶に詰めて保存します。
瓶に詰めたマルベリー
マルベリーはペクチン含有量が少ないためか、煮詰めてもトロミが出てこないので、出来上がったものはマルベリーのエキス100%のマルベリーソース原液として利用しています。
ヨーグルトに掛けたり、炭酸水やお水で割ったりすると、とても美味しいです。
お味ですが、ソースやジャムに加工した場合、ブルーベリーに似ています。
ソースの色は、ワインレッドで、とても美しい色だと思います。
出来上がったマルベリーソース
果実は生のブルーベリーほどの大きさにまで小さくなりました。
ラズベリーのような種は無いので、煮詰めた果実も食べやすいです。(ごく僅かに種がある時もありますが、非常に少ないです。)
ヨーグルトにかけたり、炭酸やお水で薄めると、驚くほど鮮やかな色になります。

ところでこのマルベリー、以前ドイツでは「悪魔の実」と呼ばれていて、子供には食べさせなかったそうです。けれど東洋では、根皮は桑白皮と呼ばれ、利尿、鎮咳、消炎などの目的で漢方に処方されている立派な薬草?薬木なのだそうです。根皮や葉のお茶は、高血圧の予防や咳止め、果実酒は滋養、強壮に飲まれるそうです。(出典:愛読書の、小学館「ハーブ・スパイス館」より)
ドクダミに続いてマルベリーも凄い効能があるんですね。

6月はドクダミの収穫、マルベリーの収穫、そして後半はセント・ジョーンズワートなどなど、収穫ラッシュが続きます。
仕事をしていた時、毎朝早朝マルベリーの収穫をしてから出勤し、帰宅後、夕食の準備と後片付けが終わって夜の10時頃から、ジャムやソースを作っていた時もありました。
当時は、とても慌ただしくて大変だったのを覚えています。
多い時で一日にジャム瓶10本以上の量の収穫をしてから出勤・・・という日もありました。
毎日の収穫作業に嫌気が差した時もありました。
何故こんな大変な思いをしてまで、毎日毎日収穫しなければいけないんだろう?と、自分がマルベリーを植えたことは棚に上げて、収穫を喜ぶどころか、マルベリーのせいにしたり、自分でストレスを作っていた年もありました。
今思えば、自分の生活でこなせる量を超える収穫量だったのだろうと思います。
だた唯一、自分の功労(ジャムなどを友人が美味しいねと言ってくれたこと)だけが、励みになっていたのだと思います。マルベリーという樹木の事を考えてあげられなくて、マルベリーには申し訳なかったなぁ・・と思います。

今年は退職して、午前中は庭仕事に専念出来るようになったので、ゆっくり楽しみながら収穫出来ています。マルベリーと向きあう事自体が楽しみに思えるようになってきました。
また間引きをして収穫量を調整したり、剪定の方法を学んだりと、自分の能力でこなせる感覚も掴めてきました。ささやかながら幸せだなぁ・・・と感謝できる心の余裕も出てきました。
植物・・・マルベリーやドクダミ、お野菜もそうですけれど、薬草茶や食物として体内に取り入れる事が出来るって事は、つまりは自分の身体をつくるモノを提供してくれているってことで、言うなればその植物のおかげで生かされていて・・・極論を言えば私の体も植物も同じものだってこと。
全てがワンネスの感覚。。。そういう感覚が最近目覚めて来つつあります。

まだまだ、いろいろ体験して失敗したり成功したり、その時々の暮らし方から、いろんな事が学べそうです。
2014年のマルベリーはこちら(かなり豊作です)>

6.05.2012

ドクダミの収穫

(※6/14に追記をしました。)
ドクダミの花が咲きだしました。いよいよ収穫の時期です。
北側の庭のドクダミ
東側の前庭、西側の裏庭、そして北側の庭それぞれにドクダミが群生しているのですが、日陰がよく育つとあるとおり、やはり北側の庭のドクダミが一番背丈も長く葉も大きく美しいです。
とりあえず今日はこの北側のドクダミを収穫してみることにしました。

小学館の「ハーブ・スパイス館(ISBN4-09-103393-8)」によりますと、
「開花時期に全草を刈り取り、乾燥保存する。」
「全草を乾燥したものを十薬と称し、解熱、解毒、利尿や湿疹薬に使われる。」
「乾燥するとにおいは消える。」
「乾燥した葉をティーにして飲むと便通を整え、利尿作用があるといわれている。」
とあります。
薬草って、ドクダミもそうですけれど、エキナセアやオレガノ、セルフヒール、セント・ジョーンズワート等、開花時期に収穫すると、薬効を充分に摂れるものって多いですね。

収穫したドクダミ

物干し竿に干しているドクダミ
十本ずつ枝を束ねてみたら54束出来ました。つまり本日の収穫は540本ということです。収穫に1時間半以上、束ねるのに1時間ほど掛かりました。ふうぅ~。
曇り空で風が強い日なので外に干しましたが、早く乾くといいなぁ。。

リビングに干したドクダミ
夕方雨が振りそうだったので、慌ててリビングに取り込みました。
なんだか緑のカフェカーテンみたい!
収穫している時、独特のドクダミの匂いがしたのですが、室内に干していると全く匂いは気にならないですね。
・・・・って、明日はどこか別の場所に干さなきゃ。
家人が帰宅してこの様子をみたら、ビックリするだろうなぁ。

前出の「ハーブ・スパイス館」の利用法のところに、
「乾燥した葉を薬用に。民間では煎じ茶を便秘症、膀胱炎などに用いる。生の葉は、火にあぶって柔らかくして、腫れものの吸い出しに用いる。若葉を高温で揚げて天ぷらにするとにおいが消えておいしい。ベトナム料理では生のまま使う。」
とも書かれていました。

そういえば、子供の頃、足を虫に刺されパンパンに腫れてしまったので(蜂ではなかったと思うけど)、母親が庭のドクダミを揉んでガーゼに付けて、足に貼ってくれた記憶があります。
主人は青年期にニキビが多かったそうで、ドクダミを煎じてはお茶にして飲んだりしたそうです。
でも、腫れものの吸い出しには生の葉を貼ったほうが良いのなら、ニキビには飲むのと同時に、生葉も利用したほうがいいのかも。。。
ならば、前庭と裏庭のドクダミはこのままにして、使う都度に収穫する為に残しておいたほうが良いみたいです。

若葉の天ぷら。。。も、そんなに美味しいのなら、いつか試してみようかなぁと思っています。
においが消えるのなら、大葉みたいな食感なのかしらね。多分。。。
ベトナム料理といえば、生春巻きに香草のコリアンダーが入っていますよね。
あのコリアンダーもかなり強烈な香りですが、ベトナムの方達はドクダミをどのように使うのかしらねぇ・・・。

ドクダミを収穫していたら、お隣さんが「乾燥したら少し頂戴。」とおっしゃっていました。
上手く乾燥出来ますように。

最初ドクダミがどんどん繁殖してきた時、正直チラッと嫌だなぁ・・・と思っていた時もありました。
ドクダミという名前から受ける印象と、独特の臭気から、なんとなく美しいイメージを持てなかったのだろうと思います。
ところが、ご近所さんが庭のドクダミの群生を見て「なんて綺麗なんでしょう。」とおっしゃって下さったり、更にドクダミを茶花風に茶入に入れたり、玄関の花瓶に飾ったりしてみたところ、風情があってとっても美しく見えるのです。
先日遊びに来たお友達が玄関に活けてあるドクダミや、北庭のドクダミの群生を見て、「私も育てたい」と言ったので、数株を掘り起こして差し上げました。(地下茎はミントに比べると、簡単に分けられて掘り起こし易かったです。どこまで繁殖を許容できるかで、鉢植えか地植えか悩むところだと、友人は話していました。)
主人はドクダミ茶を飲むのを楽しみにしているし、薬効もたくさん有りますし、今では有難いなぁと思うようになりました。

(6/14 追記)
乾燥したドクダミ
1週間経過した6月12日、パリパリに乾燥したドクダミをザクザクと切りました。
この状態で湿気ないように乾燥して保存しました。
少し煎じて飲んでみたところ、香りは若干残っているように感じました。
そんなに嫌な風味ではないですが、煎じる前に、フライパンで焙じてから煎じると、香ばしくなって、より飲みやすくなるかもしれません。
義父はこのドクダミの風味が苦手ではないらしく、とても美味しいと言って喜んで飲んでいます。
今は毎朝、一日分のドクダミを煎じて家族皆で飲んでいます。

まだ庭に残っているドクダミは花の咲いている間に、一部は追加でお茶用に乾燥しました。
そして一部は生のままウォッカに漬け込んでチンキも造りました。
このチンキは汗疹(あせも)やニキビの外用薬の原液としました。
使用する時に薄めてパッティングしたり、皮膚にすりこんだりして使おうと思っています。
そして残りの一部は、花の姿が美しいので茶花として見て楽しんでいます。
十薬と称されているとおり、ドクダミには本当にいろいろと助けて貰っています。

6.04.2012

2012年6月の庭

6月に入ると、約1ヶ月間、毎年恒例のマルベリーの収穫に追われます。
2012年6月4日のマルベリー
今年マルベリーはちょっと失敗しました。
昨年強剪定してしまった為、果実が太い枝(というより幹)にかたまって付いてしまったのです。
このマルベリーは本来なら長く垂れる枝の先に果実を着けるのです。
本来なら枝を残したほうが収穫がしやすいのですが、例年長い枝だと果実の重みで枝が地面に着くくらい垂れてしまい見栄えが悪いため、ばっさりと剪定したのです。

しなだれた枝をほとんど落とした為に、今年は果実が幹に着いてしまったのです。
果実が膨らみ始めた後に、枝が勢い良く伸び出してきたので、幹に着いた果実を収穫する時に、枝をかき分けながら行わねばならなくなって、例年よりも収穫が非常にしづらくなってしまったのです。
このことから、マルベリーの選定方法が体験をもって学習できました。
長い枝はばっさり落とさず、何本かしっかりした枝を選んで残すようにしようと思います。
マルベリーは試行錯誤しながら育ててきました。
来年こそは、綺麗な枝ぶりで収穫しやすく仕立てたいなと思います。

そして、後から気づいたこと。
「気」を感じるアンテナを閉じて、樹木の声、植物の声を無視した人間からの視点だけで行動を起こすと、良い結果は得られないってこと。昨年の私はまだまだ「気感」のアンテナ受信が不十分だったってことですね。

その他の6月の植物たちです。
6月は薔薇の美しい月です。
ロサ・ガルカ・オフィキナリス
Rosa gallica officinalis
ロサ・ガリカ・オフィキナリスは、"薬剤師の薔薇"と云われているほど薬効のある薔薇です。
今年この薔薇は今までで一番美しい容姿になりました。
花も葉も全てが美しく感じます。
薔薇の下に咲いているのは、ヒルザキツキミソウです。
ヒルザキツキミソウは一株戴いたものを植えたのですが、今では庭のあちらこちらに広がって、花壇一面に咲いています。

八重のハマナス
庭にはハマナスが4種類あります。
この紅色の花の八重と、白花の一重のハマナス、紅花の一重のハマナス、そして中国のハマナスとも云われている玫瑰(マイカイ)です。玫瑰は薬用植物として漢方の世界では昔から知られ、花びらを乾燥させたお茶は、肌荒れに良いと云われているようです。
ハマナスのローズヒップはとても大きく、直径3cm以上になる場合もあります。
真夏には真っ赤な大きなローズヒップがたくさん出来ます。
生食だと、棗のような味がします。
このハマナスも、今年は虫も全く付かずとても美しく育ってくれています。

一重の白いハマナス

玫瑰(マイカイ)の蕾

薔薇・アンジェラ
今年も綺麗に咲いてくれました。
房状に咲く様はまるでブーケのようです。

ロサ・エグランテリア
(スイート・ブライアー)
スイート・ブライアーは葉の裏から青りんごの香りが漂う薔薇です。雨の日などは側を通るとふわっと林檎の香りがする時があります。花が終わった後には、ローズヒップが膨らみ、晩秋には真っ赤なローズヒップが収穫出来ます。

ハマナスもガリカ・オフィキナリスもスイートブライアーも、ほとんど虫がつかないのですが、アンジェラはアブラムシにやられます。よーく見るとテントウムシの幼虫がアブラムシを食べにきています。

ハニーサックル
ハニーサックルは和名をスイカズラ、または忍冬とも呼ばれているつる性の植物です。
咲き始めは白花ですが、時間が経つにつれ黄色く変色してきます。白花を銀、黄色くなった花を金に例え"金銀花"とも呼ばれていて、いろいろな薬効もあるそうです。
香水のような香りを持ち、横を通る時にふっと香ります。

葉が大変大きく美しいギボウシ

ドクダミもそろそろ収穫しなくちゃ!

6月4日の朝の庭

5.21.2012

Spiritual Growth by Sanaya Roman(スピリチュアル・グロース--サネヤ・ロウマン)


サネヤ・ロウマンさんの著書「Spiritual Growth」を読みました。
昨年この本を読み始めた時、読み進められなくて本を閉じました。
その時の気持ちが以下の文章でした。

2011年7月23日のブログ記録の文章
「サネヤ・ロウマンさんの著書「スピリチュアル・グロース」を読み始めたところ、『ハイアーセルフ』という言葉が出てきたところから、立ち止まってしまいました。
そもそも『ハイアーセルフ』というものが何なのかが、自分の中でその存在について「これだ!」という感覚が掴めていないことに気づきました。」

この本を読む前、同じサネヤ・ロウマンさんの「パーソナル・パワー」と「リヴィング・ウイズ・ジョイ」はスラスラと読めたのですが、スピリチュアル・グロースだけは、読める時がくるまで待とうと思っていました。
そして先月、今なら読めるかな?と思い、パラパラとめくり始めたところ、「あ!読める!」と感じ、あとは流れに任せるように読み進める事が出来ました。

スピリチュアル・グロース
サネヤ・ロウマン
訳:中嶋慶太・高木悠鼓
出版:マホロバアート
ISBN978-4-944035-02-1

副題に「光の存在オリン、ハイアーセルフを語る」とあります。
この本は大きく3部に分けて書かれています。
第一部は「高い次元に手を伸ばす」
第二部は「内なる次元を開く」
第三部は「外に向かって拡大する」
スピリチュアル・グロースとは文字通り「霊的成長」のことですが、それぞれの部の各章の後に、霊的成長のプロセスを通過できるように、誘導瞑想があります。

さて、私が今ならこの本を読めるかな?と思うようになったいきさつです。
今年になってから「自分を見つめるもう一人の自分」を感じるようになったのです。正確に言えば、「客観的に喜怒哀楽の渦の外側に立っている自分が居て、喜怒哀楽の渦の内側に居る自分を眺めている状態になる」という感覚でしょうか。
日々の生活をしていると、嬉しいこと、悲しいこと、寂しく感じること、怒りたくなること、楽しくなるなどの状態になります。毎日、瞬間瞬間に気持ちが変化しています。
以前ですと、その自分が喜怒哀楽の状態にどっぷりと浸かっていて、その状態のまま行動したり、感情にハマっていて、なかなかそこから抜け出せなくなっていたのですが、今年になってからは、その喜怒哀楽の各々の状態時に、そんな自分を斜め後ろ辺りから眺めている自分にフッとなっている事に気づいたのです。
「あ、自分は今嬉しいんだな」とか「あ、自分は今ちょっと辛い気持ちになっているんだな」と、斜め後ろから自分の姿を見つめる自分。
そして、その状態になっている自分を認めると、気持ちが穏やかになっている事に気づきました。
喜怒哀楽の特に「怒」と「哀」の状態の時には、その渦に巻き込まれている自分を、すーっと手を差し伸べて早く救ってくれるもう一人の自分が居て、早く楽になれることに気づきました。
喜怒哀楽の状態を持つことが悪いということではありません。
ただ単に、喜怒哀楽の状態を認めている自分になると、不思議と平穏な気分になれるのです。
「怒」や「哀」の状態が嫌だともがき、何とかしてそこから抜けだそうと焦れば焦るほど、余計に「怒」や「哀」の状態に陥るという苦しい経験をした事はありませんか?
その感情のままに行動するよりも、「今の自分の感情を、まずはただ認める」といった感覚に早く気づけば気づくほど、より早く楽になれる事に気づきました。
この本のワークではしばしば、「ハイアーセルフの状態になってください。」と書かれている箇所があります。
ひょっとして、上で書いたような感覚がもしかしたらハイアーセルフと呼ばれる状態のことなのかな?と思い、再度スピリチュアル・グロースを読んでみようと思ったのです。

本の内容は、以前読んだサネヤ・ロウマンさんの2冊よりも更に私には必要なものでした。
本には付箋を貼りまくりました(笑)
その中から、一部引用します。

P144~ 9章 自分の感情を静める
「感情を静めることは、ハイアーセルフになるための重要なステップです。激しく重い感情があると、自分の平和な中心から出てしまい、そのせいで、ハイアーセルフの静かな声を聞くことがより困難になります。もしいつも静かで、中心にいて、バランスがとれていると感じるとしたら、自分の人生がどんなになるか、想像できますか。そうなっても、あなたは物事を行うために強い感情をまだもつでしょうか。それらは混乱した感情ではなく、調和したバランスのとれたものとなります。」
「感情のせいで、あなたは時間と空間につながれています。あなたの感情は、自分の思考を実現するための燃料です。つまり何かを望むあなたの感情があると、自分の人生にそれを実現するのがより簡単になるのです。何かを創造する前には、それについての感情をもつことが必要ですが、否定的感情や不調和な感情からではなく、肯定的で調和した感情から物事を創造することができます。」

※よく「思考は現実になる」と云われますが、感情が思考を実現する燃料となるなら、混乱した感情を持ち続けていれば、困難な物事を創造してしまいます。
否定的な感情を感じている場合については以下のような説明がありました。

P146~
「もし、否定的な感情を感じたら、休んで「このメッセージは何だろうか。私は自分の人生の中の何を見て、何を前とは違ったように行動する必要があるのだろうか。」と、ハイアーセルフに尋ねてください。ほんのわずかな苛立ちや憤慨や否定的感情にも注意を払うことを学んでください。(途中省略)高度に進化したあなた方の先生たちも、感情をなくしてしまったわけではありません。というのは、感情とは人間の経験の一部であるからです。しかし、何がまわりで起こっても、彼らの感情は平和で調和しています。彼らは自分のハイアーセルフの導きに耳を傾け、自分のまわりに調和と明晰さを生み出します。あなたが、より大きなレベルで感情を統制できるようになっても、まだ一瞬の怒りや苛立ちを見い出すこともあると思います。しかしあなたは、これらの感情を一瞬に処理し、どんな導きに耳を傾ける必要があるのかを尋ね、そして、それらを解放することを学びます。」
P156~
「感情が現れてくるときに、それらを徹底的に経験すれば、それらを変え、解放することができます。自分の体の中に感情を感じてください。それはどこにありますか。もしそれが色をもっているならどんな色でしょう。その感情から抜け出すように自分を説得しないようにし、ただ自分がそれを感じるままにしてください。そうすれば、最も激しい感情でさえ、たいていの感情は、いったんそれらを経験し、愛し、そのメッセージを聞けば、すばやく過ぎ去ることがわかるでしょう。ですから、どんな問題がその激しい感情を引き起こしているのかについて考えるのをやめ、その感情の感覚そのものに集中してください。そして、深呼吸し、自分の体が光で満たされるのを想像してください。」

私も今丁度この感覚を学んでいる状態なのだと思えました。
その他にも素晴らしい内容がたくさんあるのですが、全てを書くわけにはいかないので、気に入っている見出しだけ記します。
「話した言葉は現実化します。ですから、肯定的に話すことを学んでください。」
「話す前に、自分が話そうとしていることが、どのように人々の人生に貢献するか、自分に問いかけてください。」
※今自分が話している内容は、愛のある発言かどうか---。
最近このように考えるようにしています。まだまだ学んでいる途中です。

この本の21章に、「透明になる」という見出しがあります。
この章がとても素晴らしく感じると同時に、私にとってもとても必要な学びだったと思っています。
「霊的に成長するのに、完全な環境を作ったり、否定的なものをまわりから排除したり、世の中から殷墟したりする必要はありません。この世に存在する様々なエネルギーの中にいて、ハイアーセルフでいることを学ぶために、あなたはここにいるのです。」

上に記したようなオリンの言葉に何か感じるものがあるならば、是非一度スピリチュアル・グロース読んでみてください。
サネヤ・ロウマンさんの本、次は「魂の愛」を読みたいと思っています。

5.14.2012

Medicinal and poisonous plants (薬草と毒草)

北側の庭では、苧環(オダマキ)の花が咲き出しています。
紫色に見える花がオダマキ。
オダマキの花
葉が出始めた時は、最初何が出てきたのか忘れてしまって、秋明菊だとばかり勘違いしていたのですが、花が咲いてオダマキの花だったと思い出しました。
植えた覚えの無い場所からも出てきたので、勝手に実生で育ったものだと思います。

花は大変美しいので、切って茶花として花入れに入れたりしていますが、オダマキはキンポウゲ科オダマキ属の植物です。
「キンポウゲ科の植物」には毒性の強いものも多く、このオダマキもプロトアネモニンという成分を含有するため、切り口などが皮膚に触れると皮膚炎を起こしたり、誤って食べたりすると胃腸炎や心臓麻痺を起こしたりするそうなので、取り扱いはちょっと注意が必要なのです。

今庭にはドイツスズランも咲いていますし、オモトもあります。
スズランに毒が有るというのは有名で、スズランには「コンバラトキシン」、オモトには「ロデイン」などの成分が含まれていて、共に呼吸障害などを起こしたりする場合があるとか。

毒草といえば、先日樹林気功で訪れた平泉寺には「ミヤマキケマン」が咲いていました。
平泉寺のミヤマキケマン(深山黄華鬘)
「身近な薬草百科(パッチワーク通信社/ISBN4-89396-716-9)」によりますと、ミヤマキケマンはプロトピンという毒性分を含み、酩酊(めいてい)状態、嘔吐、昏睡、呼吸及び心臓麻痺などの症状を起こすそうです。しかも注意書きのところに、「美しい花だが悪臭があり、深く匂いを吸いこむと、吐き気をもよおすことがある。」と有りました。思いっきり匂いを嗅がなくてよかった!

もう一つ。
テンナンショウ
同じ日に勝山の岩屋の大杉で撮影したものです。このテンナンショウも毒性が強く、果実を誤って食べて口内や口舌が痺れたり、胃腸障害を起こしたりする例が多くあるそうです。
前出の「身近な薬草百科」にも「毒のある植物に気をつけよう」の箇所に記されていました。

で、この「身近な薬草百科」はタイトルのごとく薬草の本なのです。
なので、毒草とあっても、同じ植物なのに、毒性成分と薬用効果が書かれています。
つまり、「薬草でありながら毒草でもある」ということで、上記の植物のような特に毒性の強いものはページを分けて記されています。

面白いことに、テンナンショウとよく似た姿をしている「カラスビシャク」は、干した塊茎(地下部分に出来る球茎)は「半夏(ハンゲ)」と呼ばれる生薬になり、嘔吐、つわり、胃腸炎の改善などに有効と書かれていて、こちらは薬草のページに分類されていました。
 我が家のカラスビシャク
12~13年ほど前、石川県のお友達Oさんから頂きました。
「路地に直植えすると、とてつもなく増えて困るから、鉢植えが良いですよ」と教わったので、鉢に植えていますが、毎年ムカゴが落ちて、春になると芽が伸びてきます。
 カラスビシャクの花。5月になって咲きました。
このような形のものは仏炎苞(ブツエンポウ)と呼ばれ、サトイモ科の特徴です。水芭蕉、ザゼンソウなどを見ると、おんなじ科だ!と判ります。
カラスビシャクの葉。
小さな対になった2枚の葉とその真中に大きな葉の計3枚が集まって着いています。
この葉っぱ、眺めているだけでも可愛いです。

テンナンショウは強い毒性があるのに、似たようなカラスビシャクには毒性が無いのか???と思って調べてみたところ、ウィキペディアによりますと、塊茎は「乾燥させず生の状態では、シュウ酸カルシウムを含んでおり食用は不可能。」となっていました。
シュウ酸カルシウムのウィキペディアでの説明はこちら。

このシュウ酸カルシウムって、以前、何故里芋などを触ると手が痒くなるのかを調べた事があって、その原因がシュウ酸カルシウムの結晶の形が原因だったと知った事がありました。
シュウ酸カルシウムの結晶は針状になっていて、里芋やカラーなどを触ると痒くなるのは、針状の結晶が皮膚に刺さるからだとか。
ウィキペディアによると、パイナップルを食べた時に口や口の周りが荒れるのも、このシュウ酸カルシウムの針状結晶が原因みたいです。

つまり、薬草は毒草でもあり、毒草は薬草でもある。
・・・と書くとちょっと怖く感じるかもしれませんが、植物には何らかの薬効がある反面、なんらかの毒があるもので、それが多量に含むか少量かで、薬草だとか毒草だとかと人間が勝手に分類しているだけなんだなと思いました。当の植物達は、そんな風に分類されているなんて全く関係無いことなんですから。。

食べ方や用法を守り、勝手に触れたり口に含んだりせず、きちんと調べてから取り扱ったほうが良いですよね。
先月書いた「薬草の庭と茶花の庭」に出てきたスギナについてもカラスビシャクと同じように、薬草だからといって、大量に使用するのは良くないでしょうし、お野菜にしても、果物にしても、安心だからといって大量に食べるのはやっぱり良くないですよね。。。。。適量が一番。

5.08.2012

平泉寺にて樹林気功

気功教室の先生やお友達と福井県勝山で樹林気功を行って来ました。
その時平泉寺へも寄ってきました。
木々がとっても美しかったので写真に収めてきました。
 大きな杉木立
中央の鳥居が小さく見えます。
 絵画のように美しい庭
 池に映った樹木
 見上げた木々
木々が私達を歓迎してくれたかのようです。樹木からたくさんのパワーを頂きました。

フィンドホーン創始者のお一人であるドロシーマクレーンさんの著書「樹木たちはこう語る」(訳:山川紘矢・山川亜希子 出版社:日本教文社 ISBN978-4-531-08167-7)の中の一部を引用します。

P218「杉」からのメッセージ
---「私たちの安定したゆるぎない愛を感じなさい。土地の一部でありながら、また土地へと戻ってゆく愛です。私たちは別々であり、しかも別々ではありません。その両面を私たちは誇りに思っています。できる限り沢山の愛と私たちの命のエネルギーを、空高く、地中深くへと送っています。そして何が来ようと、私たちは受け入れます。」---

大木は「地球の皮膚」だそうです。
彼らは彼らにしか出来ない仕事を地球の為に行なっているそうです。
なので、人間が勝手に大きな木を切り倒してはいけないのです。
人間も自然の一部としての仕事があり、お互いに助けあって生きていこうとすれば調和が生まれるのです。

樹林気功については、またいつか改めて書きたいと思います。