10.23.2010

工程を楽しむものと、お任せで楽しむものと・・・。

今までに、暇な時に時々考えていことがあって、何かを「やってみたい」と、思って始めはしたものの、やっている途中で止めてしまったり、続けられなかったりすることが多々あって、じゃぁ、ダラダラとでもいいから続けていっているものって有るのかな?と。

で、分類してみたところ、「写真関連」と「珈琲関連」はどうにか続けているみたい。 挫折、或いは途中でとまっているものには、刺繍、手芸、読書、ガーデニング等。

続けているものは、その工程自体が楽しいと感じているからだと気づき、挫折したものは、その工程が「めんどう」と思ってしまっていることにも気づき。

珈琲も、写真も、出来上がりは勿論楽しいのですけれど、出来上がるまでの工程が楽しく感じれるから続けていけるんだと気づき、自分自身のことをやっと少し判った気がしている。

工程を楽しいと思えるものは、他人からすれば「めんどう」と思えるものでも、やたらと手間隙かけてやっていたりして、そのことすら快感だったり。
珈琲の豆を毎回ハンドミルで挽く楽しさ。
珈琲の粉をネルドリップで入れる楽しさ。
お湯の温度を測る楽しさ。
珈琲ミルのお手入れをする楽しさ。
抽出が終わった後のネルのお手入れの楽しさ。
これらは、美味しい珈琲を飲めるまでの前段階で、そのプロセスが楽しくて、結果美味しい珈琲が飲めれば尚嬉しい。。。という感覚。

写真も同じく・・。
構図を決め、絞り値を決め、それによってシャッタースピードを変え、シャッターを切る。
マニュアル機やピンホールカメラだったりすると、更に被写体までの距離を計ったり、絞りやシャッタースピードを計算したり、或いは露出計で測ってカメラのレンズを調整したり・・・。
撮るまでにいろいろな工程があって、それらを楽しんでいる。撮り終わった写真が上手く写っていれば喜び、上手くいかなければ、更に意図した通りに撮れるようにと考える。それが楽しみ。

反対に面倒だと思うことは、この時代の「三種の神器」に任せていいのでは?と思った。
写真だって、カメラ任せで充分綺麗に撮れるカメラもある時代だし、お米もお鍋で炊いてもいいけれど、美味しく炊ける炊飯ジャーもたくさん出回っているし・・・。 選ぶのは自分。
懲りたいものには拘って、スルーしたいものはお任せモードで(笑)、人それぞれ皆こだわる部分が違うのは当然だし、楽(らく)したいことも違うのは当然なのだから・・。

そして、挫折したり、途中で放り投げているものを再度始めたくなる時が、またいつか来るかもしれない。

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