12.28.2011

三谷龍二さん「木の匙」でふと思うこと

木の匙 (表紙)
著者:三谷龍二
新潮社 ISBN4-10-300191-7

最初に三谷龍二さんの作品に興味を持ったのは、料理家の飛田和緒さんの「飛田和緒の10年もの」という本で、この三谷龍二さんの器やフォークのことが「料理がいちだんとおいしくなるから、今一番のお気に入りです」と紹介されていて、オリーブオイルでお手入れしながら、ずっと長く使っていらっしゃることが書かれてあったからです。

そして何年か前に三谷龍二さんの「木の匙」という本を買いました。
この本は三谷龍二さんがつくるモノの作品集のようであり、静かに語りかけるエッセイのようでもあります。作品はどれも丁寧な手仕事で、一本一本削る木の匙や、器や、箸、バターケースなど、私もいつか飛田和緒さんのように、お手入れしながらずっと使ってみたいなぁと思っていました。

(裏表紙)

最近ひょんなことから、三谷龍二さんの木の匙に巡り会うことが出来て、大きめの匙を1本購入することが出来ました。


手で削った温かみのある匙

今のところ、この木の匙は、時々食べる朝のオートミール粥に使っています。
熱々の粥を食べるとき、ステンレスのスプーンだと熱すぎて、口に入れた時にスプーンに触れないように食べるのですが、この木の匙だと口に含んだ時に熱くなりすぎず食べやすいのです。

この木の匙は介護が必要な方にもいい匙なのではないかなと思います。(義母の介護をしていた時も、お粥は毎回(当時は三谷さんのはまだ購入出来なかったけれど)木のスプーンを何本か揃えて使っていました。)

三谷龍二さんの「木の匙」に書かれている素敵な言葉:
「心地よさに決まった法則がある訳ではなく、自分のからだに聞きながら、結局は、自分の気持ちに合ったやり方を、自由に探していくものなのだろう。」
「さて、戸外で食事をするとき、キッチンで作った料理をうつわに盛り、それをテーブルまで運ぶことになるが、こんな時、木のうつわは軽くて壊れにくいため大変具合がいい。ガチャガチャうつわ同士が擦れる音のないことも助かる。(途中省略)木肌をそのまま生かしたうつわは、ふだん着の木綿の風合いとも通じた、ラフな心地よさをもっている。だから木のうつわは、ハレの席で使ううつわというより、むしろ日常の、とくに朝食や、戸外での食事をするときの気分に似合ったうつわではないかと思っている。パンやチーズ、サラダやパスタ。そうした簡素な料理がとてもおいしそうに見えるのだ。」

さてさて、飛田さんの本「飛田和緒の10年もの」の三谷龍二さんの紹介ページにも素敵な言葉が書かれていました。
「(使っていて)ちょっと白っぽくなってきたので、そろそろオリーブオイルでお手入れしてあげなくちゃ。木の器は生きているんだから。」
「飛田和緒の10年もの」
飛田和緒 著(主婦と生活社)
ISBN4-391-12885-3

「モノ」を大切に使う心って素敵です。
傷んできてもお手入れしながら使いこなしていけたらいいなと思います。
そしていつかそのモノの本当の寿命がきた時に感謝してから手放せるようになれば、そのモノも人と同じように寿命を全うできるような気がします。

今年気功を始めて、樹木や花々といった植物との「気の交換」にも少しずつ取り組むようになりました。そうすると、人間以外の物質「動物、植物、鉱物・・・」といったものから、人工物までも全てにエネルギーがあることがどんどん感じられて、全てのものに対して感謝しながら話しかけながら付き合ってこれるようになってきました。
朝、植物に水をあげるときに声を掛けたり。
夕食後の食器を洗うとき、最後に蛇口を洗いながら、「今日も一日ありがとう」と。
掃除をする時に、それぞれの家具や雑貨に向かって話しかけたり。
お買い物をして、スーパーの駐車場に停めてある自分の車を見たとき、「待っててくれてありがとう」と声をかけたり。
自分と他の物質との「気の交換」を行うと、どのようなものであれ、エネルギーを感じて全てのものがまるで生き物のように感じるようになってきます。
エネルギーを感じるから、大切になります。
だから、愛おしく手入れをしながら扱うようになれると思うのです。
それはモノだけじゃなく、人間関係も同じじゃないかなぁ・・・。
元を辿れば皆同じ素粒子。エネルギーの集まり。

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